こういう企画にも劇団ひまわりは力を入れているのだな、と感心した。俳優養成所であるだけではなく、力のある劇団員の自主企画にも助力を惜しまない。そこから、役者だけではなく、作家や演出家も生まれてきたなら一石二鳥だし、ね。
あしだ深雪さんの脚本、演出作品だから、見に行くことにした。それにこのお話の発想が素晴らしいし。彼女がどう料理してくれるのか、興味津々。しかも、生まれて初めて河内長野に行く。普段なら、こんなところまで、芝居を見に行くことはない。
時間があればもっとちゃんと観光もしたかった。初めての町を歩くのは僕のひそかな趣味なのだ。だが、仕事の関係で開演の30分前にしか、河内長野駅に行けなかったので、(しかも、終わった後はもう夜だったから)あまり、散策はできてない。でも、20分くらいいろんなところをフラフラした。それだけで、楽しかった。こういう古い田舎町にはいろんな楽しいことが隠されている。自分の足で歩くことでたくさんの発見があるのだ。
さて、芝居である。その前に、もう少し余談を。この日、たまたま読んでいた本が村田沙耶香の初めてのエッセイ集『きれいなシワの作り方 淑女の思春期病』という本だった。これが最初はかなりドキドキしておもしろい。30代の、もう結婚をあきらめた女性(村田さん本人)が、老い(!)と向き合いながら過ごす日常を描くスケッチなのだが、僕なんかに言わせると、30代なんか若いし、まだまだ恋愛も結婚もこれからではないか、としか思わないのに、現役30代女子にしてみれば、こういう発想(老い)もありえるのか、という驚きもあった。その流れで、この芝居を見たから、微妙に両者がリンクしながら、その差が気になった。もちろん、あしださんと村田さんでは考え方も感じ方も違うから、「30代女性は」、なんていう括り方をしようというのではない。
芝居はコメディタッチで、ファンタジーのような展開もする。しかし、すぐにリアルをつきつけて現実に戻す。これは夢の中のお話なんかじゃないよ、と言う。それはこの作品のよさでもあるけど、いまいち乗り切れなくさせる理由でもある。「ひとり結婚同好会の国」なんていうバカバカしさを、リアルに突き詰め、そこから出られなくなる恐怖を描く『不思議の国のアリス』のようなスタイルでもよかったのではないか。このお話自体が一種の寓話なのだとしたほうがメッセージは明確に伝わったはずだ。なのに、一応現実です、という枠組みにしたためこのとんでもない「お話」に醒めてしまうのが、惜しい。
主人公3人はこの不思議な世界に迷い込んで、そこで、じゃぁ、もうひとり結婚するか、というところまで、追いつめられる(あるいは、たどりつく)、その時、改めて、「ひとり」ってなんだ、という現実を突きつけられることとなる。そのほうが、スリリングだと思う。
今のままでは、お話はリアルなのに、最後の選択はただのファンタジーでしかないのが残念だ。ラストで、ひとり結婚を選択するコイ野ココロ(川口正枝)を恐怖に叩き落とすぐらいのシビアな終わらせ方はできなかったのか。「ひとり」の怖さよりも、「結婚」ということばの甘さにくるんでしまうのは、納得いかない。ここでいう『ひとり結婚』とは、自分を大切にして自分とともに生きるということでしかない。そんなありきたりなことが答えでは、誰も納得しないのではないか。ひとりで生きる痛みと覚悟が描かれたなら、きっとこれはもっと感動的な作品になったのだ。
要するに、ひとりで結婚するというとんでもない設定をもっと突き詰めて描くべきなのだ。その可能性なら十分にあった。コメディなので、このくらいの緩さでいいのかもしれないけど、あしださんならきっともっと先まで描く力があるはずなのだ。安易なところで妥協して欲しくはなかった。女にとって(もちろん、男にとっても)ひとりで生きていくのか、誰かと生きていくのかの選択はヘビーな問題で、若い時はいいけど、ある程度の年齢になるとどうしても考えてしまう。自分だけの問題ではなく、家族からも、とやかく言われるはずだ。
この芝居の3人の女たちはブライダルフェアの会場で男たちと別れる。彼女たちは恋人がいない、わけではなく、恋人はいた。でも、突然それをなくす。そのショックから立ち直る間もなく、新しいステージに連れ去られる。この初期設定は悪くない。そんなピンポイントをどこまで普遍性のある状況へと転化できるかが作者の腕の見せ所だ。これはすべての、30代から40代にかけての女たちに贈るプレゼントになるべき、そんな特別な芝居だった。それだけに惜しい。