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映画・演劇のレビュー

金蘭会高校演劇部『あいあむ あたし あいあむ へいわ 』

2015-12-28 14:42:43 | 演劇
私学芸術文化祭公演で見た。会場が芸術創造館なので小劇場仕様にしての上演で、きっとコンクールヴァージョンよりも臨場感のある舞台になっていたのではないか。中ホールよりも小劇場のほうが金蘭には似合う。女子高なのにアングラに臭いが漂うのが、金蘭の凄い所で、でもそれがとても清らかで清々しい。大体『ジャップドール』をする女子高生なんて他にはあるまい。

さて、今回のこの作品である。いつもの金蘭の作品とは少し肌触りが違う。明らかなメッセージが全面に出る。とても攻撃的な作品で、挑発的でもある。「平和とは何か、」なんてことを前面に押し出す。そして、この狭い舞台でたくさんの生徒たちが(20人以上!)が、右往左往する。しかもかなり立てこんだセットや小道具が所狭しと、並ぶなかで、足の踏み場もないような空間(教室)を。ドタバタする。最後では大立ち回りする演じるのだから、とんでもない。内容においても、手法においても、確かな冒険が為される。

雑然とした空間は目前に迫る文化祭の準備だ。彼女たちのクラスはお化け屋敷をする。だが、これは単純な青春物ではない。主人公のひかり(根本夏乃)のとんでもない言葉から話はなかなか先に進まない。彼女はトラブルメイカーである。周囲と歩調を合わすことができない。自分の考えを押し通す。で、その「考え」なのだが、それが「平和」。

正しいことを言う。だけど、正しいことが周囲を困らせる。正論は疎まれる。空気を読めよ、と言われるけど、それが出来ない。彼女は「平和女」と呼ばれて、煙たがられる。前の高校も、周囲からの虐めに遭い転校した。今もまた、同じ状況にある。

抽象的な概念ではない「平和」という考えが、高校生の日常生活の中では、とても抽象的なものでしかない。彼女の行為は政治的な取り組みではなく、もっと本質的な行為で、そこにはリアリティがない。だが、彼女は邁進する。幼いころ街頭で平和を訴えかける活動をしていた父親に影響を受けたからだ。彼女の父親のとんでもない行為は、周囲の迷惑でしかないし、なんだか怪しい男として見られる。しかし、少女の頃の彼女にとってはヒーローだった。しかし、そんなヒーローが家族を裏切った。正しい人だったはずの父が、そうじゃないことをして、家族を棄てた。

彼女の中で、父は失墜したけど、「平和」は残る。平和を訴えることは、間違いではない。間違いを犯したのは父で、「平和」ではない。彼女の中で引き裂かれたもの。それが今もある。正しい行為を貫くとはどういうことか。その先には何が待ち受けるのか。高校の教室の中から、世界へと突きつける刃は、僕たちひとりひとりに突き刺さる。

世界の混沌を教室に持ち込み、小学生まで巻き込んでの乱闘として描く。終盤の父親の登場と、和解のドラマはお話の落とし所としては少し甘いけど、「世界と私」というこのお話のコンセプトにはかなう。まず、彼女は今、父と向き合い、自分の中の問題に決着をつける必要はある。だが、そこが終着点ではない。彼女が戦うのは、世界である。この1時間のドラマの先に答えがある。作品はそこにまでは行き着かない。

とても面白い芝居だとは思う。純粋な心が周囲の軋轢の中で、どこへと向かうのか。思いもしない展開に意表を突かれる。それだけに、その先が気になる。

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