森達也監督、初の劇映画作品。関東大震災から100年になる2023年9月1日から公開されて大ヒットしている。ミニシアターでの拡大公開だが、劇場は平日のお昼なのに満席で、こんなシネリーブル梅田は久しぶり。
初めての劇映画であるにも関わらず、森監督は落ち着いた演出で豪華キャストを配して巨匠の風格。2時間19分の大作を最後まで引っ張っていく。クライマックス、「朝鮮人なら殺していいのか」という永山瑛太の一言が胸に痛い。
朝鮮人と間違えて殺す。いや、朝鮮人なら殺していい、はずはない。憎しみを生む構図が震災という非常事態の中で描かれる。日本人同士が殺し合うこと。これは敵を殺す戦争ではない。内乱でもない。いや、殺し合いですらなく一方的に殺す行為。人が人を殺すこと。差別を助長する政府の姿勢に踊らされて、恐怖からの殺戮。この愚かな行為を止める術はない。
関東大震災を描くのではなく、そこから始まった殺戮を描く。朝鮮人への差別。同じ日本人に穢多というレッテルを貼ることも同じだ。自分たちの下の人間を作ることで安心を作る差別の構造。
映画は淡々とこの事件を追う。冷静なタッチでさらりと映像化する。余計な感情を交えない。これはメッセージではない。ドキュメンタリーの姿勢を崩さない。丁寧に描かれていく村での日常と突然の非日常の日々。震災から6日間。自警団が行商人たちを惨殺するまでを見つめる2時間19分は過酷だ。ラストの静寂はこの先100年を見つめる。そこに僕らはいる。