文明社会に対するメル・ギブソンの痛烈な批評が込められた作品。ここまで拘った完璧主義には、感動するやら、呆れるやら。ほとんど偏執狂的な作り方で、リアリティーへのあくなき追求というよりも、これは自虐的にすら見える。マヤ語で全編通すというのは、あたりまえのことだが、画期的。彼にとっては、残酷シーンも映画として当然なのだが、なんだか無茶してるだけのようにも見える。
何が彼をして、ここまで拘らすのだろうか。しかもこの映画、メッセージを伝えるテーマ主義の映画ではなく、娯楽活劇だったりする。それをありのままの描写で見せる。だが、分かりきったことだが、この映画を撮影するにはとてつもなに時間とお金が必要で、かなりのマゾでなくてはとても作れない。こんな変態的な映画はコッポラの『地獄の黙示録』くらいだろう。(あの映画の原題は「アポカリプト・ナウ」でしたっけ)
凄まじい追跡劇である。密林の中、どこまでも、どこまでも逃げ続ける男と、それを地獄の果てまで追い続ける男たちの肉弾戦が止まることなく描かれていく。
マヤ文明の崩壊序曲を描くなんて言うことよりも、これは今まで見た事のない映像の冒険だ。ここまでリアルに残虐に、未開文明の真実の姿を描く映画はかってなかったはず。但しこれがかっての『ヤコベッティーの残酷物語』のような擬似ドキュメンタリーではなく、新しいタイプのアクション映画だと割り切ったほうがいいような作品なのだ。先に書いた「未開の文明の真実の姿」というのは嘘で、(ごめんなさい)そんなふうに見えるスタイルで描かれたアクション映画なのだけれども、もちろんこれはそれだけのノーテンキな映画ではなく、もっと崇高な理想がここにはありそうなのだ。でも、それが何だか伝わらない。そんな、もどかしい映画でもある。
何が彼をして、ここまで拘らすのだろうか。しかもこの映画、メッセージを伝えるテーマ主義の映画ではなく、娯楽活劇だったりする。それをありのままの描写で見せる。だが、分かりきったことだが、この映画を撮影するにはとてつもなに時間とお金が必要で、かなりのマゾでなくてはとても作れない。こんな変態的な映画はコッポラの『地獄の黙示録』くらいだろう。(あの映画の原題は「アポカリプト・ナウ」でしたっけ)
凄まじい追跡劇である。密林の中、どこまでも、どこまでも逃げ続ける男と、それを地獄の果てまで追い続ける男たちの肉弾戦が止まることなく描かれていく。
マヤ文明の崩壊序曲を描くなんて言うことよりも、これは今まで見た事のない映像の冒険だ。ここまでリアルに残虐に、未開文明の真実の姿を描く映画はかってなかったはず。但しこれがかっての『ヤコベッティーの残酷物語』のような擬似ドキュメンタリーではなく、新しいタイプのアクション映画だと割り切ったほうがいいような作品なのだ。先に書いた「未開の文明の真実の姿」というのは嘘で、(ごめんなさい)そんなふうに見えるスタイルで描かれたアクション映画なのだけれども、もちろんこれはそれだけのノーテンキな映画ではなく、もっと崇高な理想がここにはありそうなのだ。でも、それが何だか伝わらない。そんな、もどかしい映画でもある。