初演はウイング・フィールドで見た。劇場に当てて書いた芝居なのだが、公演を行う劇場に合わせて芝居自体までが変化していく。今回もアトリエS-paceという新しい劇場空間の構造を自在に使った作品になっている。
かといって、作品自体が大幅に変わることはない。劇中劇になる2つの芝居はほとんど書き換えていないらしい。だけれども、ものの見事にこの劇中劇の内容を忘れていた。なんとなくこんな話だったなぁ、ということは覚えていたけど、話の先が読めない。t、いうことはきちんと忘れていたということだろう。恥ずかしい。
そのくせ全体の構造なんてのは忘れてないのである。(そんなこと自慢にもならない)第2劇場の阿部さんが、終わった後、「広瀬さん、初演見た?」と言うので、「うん、見たよ!」なんて元気に答えた。調子に乗って「全体の構造は同じだけど、劇中劇の部分を書き換えてあるような気がする」なんて言ってしまったけど、それは嘘だった。後で、はせさんに確認した時なは、「あらら」と思ったが、もう阿部さんは帰った後でしたとさ。
それって、さもありなん、と思った。要するに推理劇となる部分には重点を置いていないから、ついつい見た後、印象に残らないということだ。トリックもよく出来ているし、面白いけど、それ自体が印象に残るわけではない。芝居って不思議だ。
これは、『劇場』についてのお芝居である。小劇場という空間はもともと芝居公演をするために作られた場所ではないことが多い。倉庫とか、住居だった場所、お店、学校とか、本来別のものだった場所を改造して、劇場とした空間が多い。そんな使いかっての悪いところを、反対に武器にして、普通の劇場では出来ないことをそこで試みることも出来る。天上が低かったり、客席に傾斜がないから、人の頭が気になるなんて、日常茶飯時のことだ。
取り壊しになる劇場。そこで最期の公演を打つことになった劇団。身内のための特別公演なのでひっそりと行うらしい。搬入から、仕込み、ゲネプロ。そんな中から見えてくるもの。劇団員、劇場の支配人も巻き込んで、この公演の謎が解き明かされていく。
作、演出のはせひろいちさんが、見せたかったのは、演劇という虚構がこの何もない裸の空間のなかで作られていくという当たり前の事実である。何もない空っぽの箱に人がやって来て、明かりが入り、音も入る。語り合いドラマが生まれる。
ここで描かれる2本のドラマは、芝居のオーディションと、劇作家と刑事たちの心理戦。基本は会話劇である。そこにミステリーの要素をしっかり組み込んである。お互いの駆け引きにドキドキさせられる。舞台から目が離せない。はせさんはこの2つのトリックを楽しそうに見せていく。しかし、芝居自体のテーマはこの2つのトリックを見せることにあるわけではない。「芝居がここで作られる」という当たり前のことがテーマなのだ。それがこんなにも感動的に綴られる。
最後もう一度繰り返す。だから、このお芝居を見終えたとき、劇中劇の部分はあまり印象に残らないのだろう。ほとんど忘れていたおかげでなんだか、新鮮な気分で見ることが出来た。(なんだか、言い訳ばかりしてる気分)
かといって、作品自体が大幅に変わることはない。劇中劇になる2つの芝居はほとんど書き換えていないらしい。だけれども、ものの見事にこの劇中劇の内容を忘れていた。なんとなくこんな話だったなぁ、ということは覚えていたけど、話の先が読めない。t、いうことはきちんと忘れていたということだろう。恥ずかしい。
そのくせ全体の構造なんてのは忘れてないのである。(そんなこと自慢にもならない)第2劇場の阿部さんが、終わった後、「広瀬さん、初演見た?」と言うので、「うん、見たよ!」なんて元気に答えた。調子に乗って「全体の構造は同じだけど、劇中劇の部分を書き換えてあるような気がする」なんて言ってしまったけど、それは嘘だった。後で、はせさんに確認した時なは、「あらら」と思ったが、もう阿部さんは帰った後でしたとさ。
それって、さもありなん、と思った。要するに推理劇となる部分には重点を置いていないから、ついつい見た後、印象に残らないということだ。トリックもよく出来ているし、面白いけど、それ自体が印象に残るわけではない。芝居って不思議だ。
これは、『劇場』についてのお芝居である。小劇場という空間はもともと芝居公演をするために作られた場所ではないことが多い。倉庫とか、住居だった場所、お店、学校とか、本来別のものだった場所を改造して、劇場とした空間が多い。そんな使いかっての悪いところを、反対に武器にして、普通の劇場では出来ないことをそこで試みることも出来る。天上が低かったり、客席に傾斜がないから、人の頭が気になるなんて、日常茶飯時のことだ。
取り壊しになる劇場。そこで最期の公演を打つことになった劇団。身内のための特別公演なのでひっそりと行うらしい。搬入から、仕込み、ゲネプロ。そんな中から見えてくるもの。劇団員、劇場の支配人も巻き込んで、この公演の謎が解き明かされていく。
作、演出のはせひろいちさんが、見せたかったのは、演劇という虚構がこの何もない裸の空間のなかで作られていくという当たり前の事実である。何もない空っぽの箱に人がやって来て、明かりが入り、音も入る。語り合いドラマが生まれる。
ここで描かれる2本のドラマは、芝居のオーディションと、劇作家と刑事たちの心理戦。基本は会話劇である。そこにミステリーの要素をしっかり組み込んである。お互いの駆け引きにドキドキさせられる。舞台から目が離せない。はせさんはこの2つのトリックを楽しそうに見せていく。しかし、芝居自体のテーマはこの2つのトリックを見せることにあるわけではない。「芝居がここで作られる」という当たり前のことがテーマなのだ。それがこんなにも感動的に綴られる。
最後もう一度繰り返す。だから、このお芝居を見終えたとき、劇中劇の部分はあまり印象に残らないのだろう。ほとんど忘れていたおかげでなんだか、新鮮な気分で見ることが出来た。(なんだか、言い訳ばかりしてる気分)