リー・リンチェイ主演『少林寺』から29年。再び今、少林寺を舞台にしたアクション映画の傑作が生まれた。前作は昔ながらのカンフー映画でしかなかったが、今回はまるで違う。時代も変わりあんな単純な映画では通用しない。今の時代のニーズに合わせて、しかもあの頃の思いもちゃんと残した新生『少林寺』の誕生だ。2時間11分の大作である。上映時間だけではない。アンディ・ラウ、ジャッキー・チェン、ニコラス・ツェーという3大スターの夢の競演であり、凄まじいアクションとSFX技術の粋を極めた渾身の超大作だ。
1912年、辛亥革命の翌年、中国が動乱の時代を背景にして列強の陰謀、内紛、さまざまな思惑の行き交う中、少林寺に象徴された「中国」そのものの正義が、どこに向かうのかが描かれる。だからこれは胸熱くなる映画となる。民衆の平和への願い、それを実現する少林寺の戦いが描かれていく。
アンデイ・ラウが傲慢な独裁者から、人々の平和を願う救世主に変貌していくという展開は強引すぎるし、安直だが、でもこういうアクション映画ではそんな細かいことは気にしないのが流儀だ。単純さこそ作品に力をもたらす。しかも彼はこの設定のなかで結構苦悩しているし、さらには、最後には信じられないくらいの純粋さで、ニコラス・ツェーの彼を裏切った腹心をかばい、彼の改心を促す。同じ中国人ならわかるだろ、って感じで、その同族意識は凄い。当然悪の武器商人であるイギリス人将校は問答無用に殺す。
ベニー・チャン監督はこの超大作をまずアクション映画として構成する。ドラマ性を重視した映画として作りながらも、編集段階でアクションシーンを中心にしてまとめるから、アクション映画なのに、ただのアクションのためだけのアクションにはならない。最初の編集では、全体はなんと4時間近くもあったらしい。
少林寺の実物そのものと思える見事なセットも凄い。もちろんこの原寸大のオープンセットを最後には完全に破壊する。この映画の本物志向は、これをただのアクションではなく、中国人の心に響く魂の映画とするために必要なことだと信じるからだ。その点で中途半端だった『孔子』とは違う。何をどう見せたいのか、その方向性が明確だから、作品に迷いやブレが一切ない。こんなにも気持ちのいい映画を見たのは久しぶりのことだ。この秋必見の超大作である。なのに、相変わらず日本ではまるでお客が入っていない。『タンタンの冒険』なんか見ている場合ではないと思うのだけど。(まぁ、人それぞれですね)
1912年、辛亥革命の翌年、中国が動乱の時代を背景にして列強の陰謀、内紛、さまざまな思惑の行き交う中、少林寺に象徴された「中国」そのものの正義が、どこに向かうのかが描かれる。だからこれは胸熱くなる映画となる。民衆の平和への願い、それを実現する少林寺の戦いが描かれていく。
アンデイ・ラウが傲慢な独裁者から、人々の平和を願う救世主に変貌していくという展開は強引すぎるし、安直だが、でもこういうアクション映画ではそんな細かいことは気にしないのが流儀だ。単純さこそ作品に力をもたらす。しかも彼はこの設定のなかで結構苦悩しているし、さらには、最後には信じられないくらいの純粋さで、ニコラス・ツェーの彼を裏切った腹心をかばい、彼の改心を促す。同じ中国人ならわかるだろ、って感じで、その同族意識は凄い。当然悪の武器商人であるイギリス人将校は問答無用に殺す。
ベニー・チャン監督はこの超大作をまずアクション映画として構成する。ドラマ性を重視した映画として作りながらも、編集段階でアクションシーンを中心にしてまとめるから、アクション映画なのに、ただのアクションのためだけのアクションにはならない。最初の編集では、全体はなんと4時間近くもあったらしい。
少林寺の実物そのものと思える見事なセットも凄い。もちろんこの原寸大のオープンセットを最後には完全に破壊する。この映画の本物志向は、これをただのアクションではなく、中国人の心に響く魂の映画とするために必要なことだと信じるからだ。その点で中途半端だった『孔子』とは違う。何をどう見せたいのか、その方向性が明確だから、作品に迷いやブレが一切ない。こんなにも気持ちのいい映画を見たのは久しぶりのことだ。この秋必見の超大作である。なのに、相変わらず日本ではまるでお客が入っていない。『タンタンの冒険』なんか見ている場合ではないと思うのだけど。(まぁ、人それぞれですね)