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映画・演劇のレビュー

『ツォツイ』

2007-10-21 08:09:02 | 映画
 久々に力の籠ったいい映画を見た。緊張が持続したままラストまで一気に突き進み、見終えた後には、何とも言い難い昂揚が残る。うまく言葉にはならない興奮が、体全体を駆け抜けていく。もどかしさではない。心地よさであり、痺れるような快感なのだ。

 何よりもまず、ロケーションの凄さ。この映画の描こうとする世界の空気のようなものが刺激的だ。冒頭描かれるスラムの風景。四人の部屋から彼らが出て行く場面が空撮で捉えられる。その周辺のなにもない草地。そして、その向こうにある高層ビルが立ち並ぶ都市。アフリカのとある場所。中心地は近代化され、地下鉄が走り、整備は行き届いているが、そこから少し離れると、荒涼とした風景が広がる。それは未開の大自然なんかではない。近代化の波は世界を覆いつくす。例外はない。その結果、人々の生活は変化せざる得ない。

 四人の少年たちは(というより、もう青年と言うべき年齢だが)このスラムから都市に行き、盗みやら、恐喝をして生計を立てている。警察は彼らを取り締まれない。やりたい放題だ。駅で目を付けた紳士を追い、満員の地下鉄に乗り込み、四人で男を囲み、お金を奪い、殺してしまう。

 この冒頭のエピソードにまず驚く。あまりに簡単で、安易に殺人を起こす。主人公の無表情な目が怖い。彼は仲間からツォツイと呼ばれている。[不良]という意味らしい。4人組のリーダー格であり、このスラムに一人で暮らしている。

 彼が雨の夜、高級住宅地で、帰宅した直後の女性を襲い、彼女を撃ち、車を盗む。その車の後部座席には赤ちゃんがいた。彼は紙袋に入れ、赤ちゃんも連れてかえる。

ツォツイがなぜ、この赤ちゃんを車の中に残していけなかったのか。その後、彼がこの赤ん坊を、この子なりに育てていこうとする過程で、彼の中で何が起きたのか。その数日間の出来事を通して命を育むという行為が、彼の中に眠っていた記憶を呼び覚ましていく。

 これは単純なヒューマニズム賛歌なんかではない。彼が犯罪に手を染めることになったのを社会悪として摘発するなんていうくだらないことも一切しない。ただ、無口に何も語ることのないこの男の姿を通して(そして、ただ泣くか、笑うしかない赤ん坊を通して)見えてくるものをしっかり提示していくだけである。押し付けがましさの一切ない映画だ。たった94分というスリムな上映時間もいい。無駄口を叩くことなく、ただそこにある事実をそのままに示すことで、ひとりの無垢で、孤独な青年の虚無と、それが、人間らしい弱々しく怯えた表情へと変化していく姿を見せるだけだ。

 同じスラムで赤ちゃんを抱いて生活する若い女のもとに押し入り、銃を突きつけながら、自分の連れてきた赤ん坊にも母乳を与えろ、と脅すシーンから、ラストの、赤ん坊を両親の元に帰そうとする場面まで。前半のドキュメンタリータッチから、一転し、この後半は劇的な展開を見せる。だが、映画自体は一切ぶれることなく一定のペースを崩さない。抑制され、しっかりした信念に基き、一気にラストまで駆け抜けていく。

 DVD特典として、本編には採用されなかった別ヴァージョンの2つのラストシーンが収録されている。結末をどこに持って行くかは、かなり苦しんだのがよくわかる。もちろん何も言わないまま終わる完成版のラストがベストだ。しかし、肩を撃たれたまま、荒野に向けて走っていくヴァージョンも捨て難い。哺乳ビンが割れて、アスファルトの上にミルクが飛び散り流れていく、という映像をどうしても見せたかった気持ちはよくわかる。それでも、敢えてその場面を封じた選択は、見事というしかない。

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