とても面白いタイトルだと思った。何が一体「残念」なのか。この「残念」ということばに「王国」という単語が繋がれた時生じる不思議な感触が期待を抱かせる。それはこういうことだ。ここにある不思議は演劇ならではの世界観を形成するに違いないという期待である。
リチャード王とその妃であるキヌーシャの悲劇が描かれるのだが、こういう赤毛ものをこんな小劇場で見せると、それはまるで喜劇のように見える。芝居は学芸会で、しかも、いい年した男女がシリアスに大真面目にやられると、それだけで笑える。だけど、ふざけているわけではない。これは一体何事だろうか、と思う。たわいないお話である。なんらかの寓話なのだろうとは思う。どこに行きつくのか、想像もつかない。それどころか、このまま最後まで行きそうで、それも十分にありかも、とも思わせる。
だが、そこにはまさかのどんでん返しが用意されている。そりゃぁ、それくらいのオチを付けなくてはこんな茶番のような芝居は終わられられないよね、とも思う。冗談のようなお話にシリアスなオチ。認知症の介護、心を病んでしまった男。彼を正気にさせるための演劇療法、というオチが意外だったわけではない。そんなのは今までもよくあったある種のパターンである。しかし、それを神原さんとその仲間であるこのメンバーがやると、どこまでが本当でどこからが嘘なのかわからなくなる。だから、あのどんでん返しも緻密な計算の上での展開には見えない。思いつきの域で生じた終わり、のように思えてくる。
心を病んでしまった男女のラブストーリーという落としどころにしながらも、1時間の中編作品はその部分も含めてすべてが綻びだらけの世界を提示するので、何を信じたらいいのかわからない。煙に巻かれた気分にさせられる。だが、そこが実に楽しい。
この作品の緩さはこの空間とこの上演時間にぴったりと収まる。シリアスで重い残酷な寓話にするのではなく、適度な笑いを織り込んだドタバタでいい。でも、やりすぎておふざけになってしまうと、付き合いきれなくなる。これは何なんだ、と苦笑しながら、見て、ラストもさらりと受け止められる、そんなバランス感覚に優れた作劇になっている。口がきけない女という設定が、この作品の抱える痛みの根底を貫き、単純な悲劇にも当然ハッピーエンドにもしないのもいい。そこが神原マジックであろう。