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映画・演劇のレビュー

『アルゼンチンババァ』

2007-03-30 23:21:01 | 映画
 よしもとばななの優しい世界をしっかり再現した映画となっている。今まで彼女の小説はあまり映画化がなされていない。それだけ彼女の独自の世界観を映像化するのは難しいということだ。あまりストーリーに起伏がないから、物語としての面白さがないのも、その理由であろう。小説としては心地よく、その雰囲気に浸っているうちに読み終わる。後にはあまり何も残らない。それが彼女の魅力だ。

 長尾直樹監督は『鉄塔武蔵野線』でも『さざなみ』でもそうだがストーリー主導型ではなく、風景の中に人間を埋もれさせていくような映画を作ってきた人だ。と、いうことはよしもとばななとも相性がいいはずだ。そして、期待通りの映画に仕上がっている。

 まず風景。とても美しい。田舎の、のんびりした景色の中で物語は始まり、終わる。特異な3階建ての四角い洋館が、何ひとつ遮るものもない草原の中にぽつんと建つ。そこにはアルゼンチンババァ(鈴木京香)と呼ばれている女ユキがひとりで住んでいる。ぼさぼさの白髪頭で、日本の田舎の風景には全く似合わない不思議な風貌の年齢不詳の女性だ。

 映画は、母親を亡くした少女(堀北真希)が主人公。母の死のショックと同時に父(役所広司)の失踪が彼女に押し寄せてくる。いきなり一人ぼっちになった。数ヵ月後、なぜか父はアルゼンチンババァと同居していることを知る。彼女は2人が住む家に向かう。

 あたたかくて心優しい再生の物語。期待通りの映画だが、見終わって少し不満が残るのは、あまりに当たり前すぎて、まるで環境映画を見てる気分がしたからか。映画としての興奮がここにはない。たとえ静かな映画であっても、いい映画には映画ならではの何かがある。おだやかだけど、それだけでは物足りない。

 堀北真希はとてもかわいく、彼女の憂いを秘めた表情を見ているだけで幸せな気分なのだが、アイドルのプロモーションビデオを見ているのではないので、それだけではいけません。

 これはとても情けない父親の話である。妻の死という現実を受け止めることが出来ず、たった一人の幼い娘を置き去りにして、臨終の妻のもとから逃げ出し、そのくせ行くあてもなくフラフラして、穴に落ちて気を失う。

 こんなバカな男はきっとどこにもいない。そんな男を役所広司が演じている。何をやっても役所広司でしかない彼がいつもと同じ笑顔でこの役を演じる。穴から助けられ家に住まわせてもらい、タンゴを教えてもらい、抱きしめてもらい、甘えてそこで生活する。妻の死という痛手が癒えるまで、この家で猫たちと一緒に彼女の愛に包まれて暮らす。なんて勝手で都合のいい話であろうか。ユキという不思議な女との同棲生活。(ただのひきこもりでしかない気もするが)映画はそれを置き去りにされた娘の視点から描く。とても優しくて、美しいファンタジーで、こんなことは現実にはありえない。

 夜の屋上でユキと父がダンスを踊るシーン。それを盗み見る娘。さらにはラスト。死んでしまったユキと娘が同じように屋上でダンスを踊るシーン。この2つの同じ場面を中心に置いて、映画は静かに幕を閉じる。とても惜しい仕上がりである。

 

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