習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

『アキレスと亀』

2008-10-06 22:44:37 | 映画
 この北野武の新作を見ていると、ビートたけしの持っている暴力的な衝動は1歩間違えれば喜劇になるという当たり前に事実に改めて気付かされる。

 初期の作品の抑えたタッチは彼の本来の資質を抑え込むことで生まれた異形の世界だった。最近の過剰な作品こそが彼の本来の資質なのかもしれない。今回だって必ずしもシリアスな作品とは言えまい。おふざけが過剰であり、全体のバランスを崩しかねない状態だ。しかし、それこそが彼の目指した世界だろう。

 マチス(真知寿)なんていうふざけた名前の少年が、ただ絵を描いているだけの映画だ。自分の考えなんて持たずに、ただ絵が好きだから、それだけ。ギャラリーのオーナーに言われたらその通りの絵を描き量産する。当然世の中に受け入れられるわけではない。それでもせっせと描く。中年以降は本人が演じるが、そこからはそれまで以上に遊びの要素が大きくなる。彼の行為の数々は年を取っているだけにしゃれにもならない。あげくは妻にも愛想を尽かされる。(というか、この妻はあまりに付き合いよすぎる)それでも彼の愚行は止まるすべを持たない。

 従来のこの手の年代記ものの通常のパターンは踏まない。だからラストでもずっと同じように貧乏なまま。

 人間は何のために生きているのだろうか。こんなふうにただ好きなことをして、野心も待たずに生きるって何なんだろうか。彼が何を考えていたのかがよくわからない。わからないけど、なんがか面白い。こういうバカな人間ととことんつきあってみたくなる。もちろん映画の中でだが。(現実ではちょっと、困る)

 映画としては可もなく不可もなくで、なんか北野映画にそんな評価を下さなくてはならないことは心苦しい。だが、それが現実なのだから仕方ない。ただ、ここ2本の作品よりはこれはいい。

 この3本(自伝的3部作)はあまりに自虐的すぎて、見ていて痛々しいのだ。主人公との距離の取り方が生々しすぎて、そこにはビートたけし+北野武自身がナマなまま見えてくる。もちろんそこには彼一流の諧謔があるのだが、それでもここまで自分を追い詰めていかなくてもいいのではないかと思う。痛ましい限りだ。

 

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