小路幸也の小説が初めて映画化された。しかもこんなにも素敵な作品になっている。監督はまさかの『ユリイカ』の青山真治だ。彼がこんなタイプの映画を撮るなんて信じられない。この2人の組み合わせって、意外すぎて想像もつかなかった。見る前はなんだか不安で、なんか理屈っぽい映画になっていたら嫌だなぁ、なんて失礼なことを思っていた。だが、出来上がった映画は小路幸也とも違うし、ましてや青山真治とは思えない。この2人のどちらにも似ていない。
こんなラブストーリーは初めてだ。見ながら何も事件は起きないのに、こんなにもドキドキしている自分に驚く。主人公はカメラマン志望の大学生の男の子(三浦春馬)。そして彼を巡る3人の女性の物語だ。まるで「映画のような」設定の映画で、今時めずらしい。昔ならこういう絵に描いたような映画って、けっこうたくさんあったけど、今は夢がないからこういう話は誰も信じない。でも、本当は映画の中だけでも、こういうラブストーリーを見てみたい。しかも、心地よくその世界に浸りたい。映画のような恋に憧れる、なんてなくなった。だからこそ、そんな懐かしい時代のなごりをとどめた映画を時代錯誤とは思わさないくらいに上手に作ってもらいたい。これはそんなささやかなことへの挑戦なのかもしれない。
失われたものへの郷愁。それは小路幸也のテーマだ。彼の代表作『東京バンドワゴン』シリーズなんてまさにそうだ。彼のノスタルジックな世界は今ではもう失われてしまったロマンである。それを青山真治は照れることなくそのままに描く。へんに手を加えたりしない。これは一見簡単そうに見えて、とても難しい作業だ。みんなが心地よくでき、嘘くさく思わせることのない世界を呈示する。
これはどう描いても嘘くさくなるような話だ。説得力はない。なのに、この映画なら少しくらい騙されてもいいか、と思わせる。この微妙な匙加減である。絶妙だ。絵に描いたような2枚目の青年。家族の写真を撮る。カメラマン志望の大学4年生。死んでしまった親友の恋人がいつも彼のまわりをうろうろしている。死んだはずの親友も、幽霊になってまだこの部屋に住み着いている。9歳年上の姉(義理だが)はとても綺麗な人で、彼のことを愛してくれている。姉弟以上の気持ちを抱いてくれているけど、そんな姉の思いに彼は気付かない。死んだ母はカメラマンだった。彼が小2の時のことだからあまり憶えていない。でも、母に憧れ写真を撮っている。たぶん。これってマザコンだ。そんな彼がある日、公園で母親そっくりの女の人と出会う。思わずカメラを構えてしまう。その後ひょんなことから彼女の夫に彼女の写真を秘かに撮るように依頼される。彼女は毎週東京の様々な公園を幼い娘を連れて乳母車を押しながら回る。そんな彼女の行為を不審に思った夫が彼女の尾行を彼に依頼したのだ。
乳母車の中にいる娘はもうひとりの彼自身なのかもしれない。優しい姉はずっと彼を愛し続けてくれる理想の女性だ。そして、親友の恋人だった女の子は、秘かに彼を好きだったりする。そんな彼女の気持ちに鈍感な彼は気付くはずもない。ファインダー越しに見る人妻である女性は母親そのものだ。眩しくて声もかけられない。
これは風景の中で立ち止まる人々の物語だ。ストーリーらしいストーリーはないし、いらない。そんなことより、美しい緑の中でまだ充分に若くて美しい母と幼い娘がぶらぶらするのを見つめる。それをカメラに収める。この瞬間を焼き付けていく。それだけで充分だ。
3人の女性たちはみんな美しい。彼のことを好きだと思ってくれる。でも、それは生々しい恋愛感情ではない。パステルカラーの思い出のようなものだ。淡くて鮮やかだ。この映画はまるで昔見たなつかしい恋愛映画のように思える。ここには生活感はまるでない。こんな夢を見てみたいと思うような映画だ。
きっと今よりずっと昔、まだこの世界がもっとのんびりしていて、平和な時代の物語である。
「ある男の子がいました。彼にはすてきな姉がいて、ちょっとえらそうにしている恋人もいて、まるで死んだ母親そのもののようなきれいな憧れの女性もいて、彼女はいつも子供と公園にいました。」
昔々の夢の中の物語。ここには幸福だった頃の記憶がたくさん詰まっている。これはそんな映画なのだ。とりあえずのストーリーはある。両親の話もある。幽霊になった親友はやがて消える。乳母車の人妻も夫と上手くいく。でも、そんなお話はどうでもいい。この心地よい時間の中でまどろんでいたい。2時間の至福の余韻が今も残る。久しぶりに映画を見て、こんなにも何も考えずにその作品世界の中にのめり込めた。
こんなラブストーリーは初めてだ。見ながら何も事件は起きないのに、こんなにもドキドキしている自分に驚く。主人公はカメラマン志望の大学生の男の子(三浦春馬)。そして彼を巡る3人の女性の物語だ。まるで「映画のような」設定の映画で、今時めずらしい。昔ならこういう絵に描いたような映画って、けっこうたくさんあったけど、今は夢がないからこういう話は誰も信じない。でも、本当は映画の中だけでも、こういうラブストーリーを見てみたい。しかも、心地よくその世界に浸りたい。映画のような恋に憧れる、なんてなくなった。だからこそ、そんな懐かしい時代のなごりをとどめた映画を時代錯誤とは思わさないくらいに上手に作ってもらいたい。これはそんなささやかなことへの挑戦なのかもしれない。
失われたものへの郷愁。それは小路幸也のテーマだ。彼の代表作『東京バンドワゴン』シリーズなんてまさにそうだ。彼のノスタルジックな世界は今ではもう失われてしまったロマンである。それを青山真治は照れることなくそのままに描く。へんに手を加えたりしない。これは一見簡単そうに見えて、とても難しい作業だ。みんなが心地よくでき、嘘くさく思わせることのない世界を呈示する。
これはどう描いても嘘くさくなるような話だ。説得力はない。なのに、この映画なら少しくらい騙されてもいいか、と思わせる。この微妙な匙加減である。絶妙だ。絵に描いたような2枚目の青年。家族の写真を撮る。カメラマン志望の大学4年生。死んでしまった親友の恋人がいつも彼のまわりをうろうろしている。死んだはずの親友も、幽霊になってまだこの部屋に住み着いている。9歳年上の姉(義理だが)はとても綺麗な人で、彼のことを愛してくれている。姉弟以上の気持ちを抱いてくれているけど、そんな姉の思いに彼は気付かない。死んだ母はカメラマンだった。彼が小2の時のことだからあまり憶えていない。でも、母に憧れ写真を撮っている。たぶん。これってマザコンだ。そんな彼がある日、公園で母親そっくりの女の人と出会う。思わずカメラを構えてしまう。その後ひょんなことから彼女の夫に彼女の写真を秘かに撮るように依頼される。彼女は毎週東京の様々な公園を幼い娘を連れて乳母車を押しながら回る。そんな彼女の行為を不審に思った夫が彼女の尾行を彼に依頼したのだ。
乳母車の中にいる娘はもうひとりの彼自身なのかもしれない。優しい姉はずっと彼を愛し続けてくれる理想の女性だ。そして、親友の恋人だった女の子は、秘かに彼を好きだったりする。そんな彼女の気持ちに鈍感な彼は気付くはずもない。ファインダー越しに見る人妻である女性は母親そのものだ。眩しくて声もかけられない。
これは風景の中で立ち止まる人々の物語だ。ストーリーらしいストーリーはないし、いらない。そんなことより、美しい緑の中でまだ充分に若くて美しい母と幼い娘がぶらぶらするのを見つめる。それをカメラに収める。この瞬間を焼き付けていく。それだけで充分だ。
3人の女性たちはみんな美しい。彼のことを好きだと思ってくれる。でも、それは生々しい恋愛感情ではない。パステルカラーの思い出のようなものだ。淡くて鮮やかだ。この映画はまるで昔見たなつかしい恋愛映画のように思える。ここには生活感はまるでない。こんな夢を見てみたいと思うような映画だ。
きっと今よりずっと昔、まだこの世界がもっとのんびりしていて、平和な時代の物語である。
「ある男の子がいました。彼にはすてきな姉がいて、ちょっとえらそうにしている恋人もいて、まるで死んだ母親そのもののようなきれいな憧れの女性もいて、彼女はいつも子供と公園にいました。」
昔々の夢の中の物語。ここには幸福だった頃の記憶がたくさん詰まっている。これはそんな映画なのだ。とりあえずのストーリーはある。両親の話もある。幽霊になった親友はやがて消える。乳母車の人妻も夫と上手くいく。でも、そんなお話はどうでもいい。この心地よい時間の中でまどろんでいたい。2時間の至福の余韻が今も残る。久しぶりに映画を見て、こんなにも何も考えずにその作品世界の中にのめり込めた。