行定勲監督最新作。前作『真夜中の5分前』と同じように今回もミステリー仕立ての作品だ。確かに「開始から64分でだまされる」でも、あれは、誰でもあれをやられるとだまされるし、だますこと自体が映画の目的ではないのだから、その後が問題なのだ。なのに、その後があまり感心しない。モノクロ映像になり、そこからが実が現実の時間なのだが、それまでの色鮮やかなドラマとの対比があまり効果的ではない。
実は、この映画、不在の主人公の自殺のなぞに迫る映画ではない。理由ははっきりしている。では、自分以外の人間の生きる苦悩を描く作品なのか、と言われたら、それも違う。実に刺激的な作品で、映画がどこに向かうのか、まるで見えてこない。ドキドキする。だけど、お話に求心力がない。核心に迫ると、そこではぐらかされる。
自分が相手になる。羨ましいと思っていた親友と入れ替わることで、何が見えてくるのか。それこそがテーマではないか。なのに、そこで、その先に向かうことなく終わるのはちょっとした詐欺だ。緊張感のあるお話が後半になると、弛緩する。それまでのドラマ(劇中劇)が、反転した時、モノクロで描かれる現実が姿を現す。だが、そこにあるドラマのあまりのふがいなさに唖然とする。こんなお話でいいのか、と思うほどに、つまらない展開になる。登場人物がまるで魅力的ではない。どうしてこんなキャラクター設定をしたのか。前半の、劇中劇の彼らが魅力的であるだけに、その落差がきつい。わざとこうき設定にしたのだろうが、そうすることで何が描きたかったのか。わからない。
つまらない映画だ、とこき下ろす。だが、現実はそれ以上につまらない。映画が現実を超える。では、現実は本当につまらないのか。すべては映画で、ここでいう映画というのは劇中劇でしかないのだが、その輝きにかなわない現実という時間がこの映画のすべてではない。前半と後半に完全に2分された映画が行きつく先。そこにこそこの映画の目指すものがあったはずなのだ。なのに、それはあんな単純な近親相姦的愛情物語なんかではないはずだ。