久々でホラー映画を見た。昔は(70年代から80年代にかけて)公開されるホラーはすべて見ていたのだが、今では劇場で公開されるものですら、あまり見なくなった。もちろん、つまらないからだ。僕にホラーに対する偏見なんかない。それどころか、大好きだし。なのに、見なくなったのは大量生産される安易な作品があまりに出回りすぎて、いくらなんでもそのひとつひとつを検証する余裕なんかないからだ。ビデオのせいである。レンタル店に行くと、ホラーのコーナーには同じようなパッケージの誰が作ったともしれない作品がうじょうじょ並ぶ。そこから本物の映画を探すだけの気力はない。はずした時には目を覆いたくなるのがホラーなので、今ではもう手を出さない。劇場ではもうほとんどホラー映画は上映されてない。
そんな僕がわざわざこの映画を見ようと思った理由は明白だ。キネマ旬報のジョン・ワッツ特集のせいだ。基本的に人の意見に影響はされない人なのだが、新作『コップ・カー』の特集にこの前作の批評が出ていた。そういうのも普通はないパターンだろう。しかもそれを海野弘が書いているし(とここまで書いて海野弘だったっけ、と不安になりキネ旬を見たら春日武彦という人だった。海野弘は『コップ・カー』について書いていた)、その文章がなかなかおもしろかったのだ。特集全体も興味深いもので、確かにジョン・ワッツって何者だ? と思わせる。『コップ・カー』が見たくなる。 そこで、その前に、ということで、この映画をレンタルして見た。
はっきり言う。つまらない。このレベルで大騒ぎするなんて、よほど映画を見ていないのだな、と思わせる。もちろんここにある可能性を過大評価して、それがこの先の彼の存在を予感させる、というのはありだ。だけど、単体としてのこの映画は凡百のホラーから突き抜けたものだとは、言えまい。スピルバーグの『激突』がTV映画であったにしても、傑作だったことには異論がない。あの映画を作った青年が27歳で『ジョーズ』を作るという展開を予感させるものが確かにそこにはあった。でも、この『クラウン』にはない。
物置にあったピエロの衣装を身につけたら、それが体に張り付いて取れなくなる。最初は何かの冗談だろ、と思うのだが、どれだけやっても、何をしても剥がれない。冗談ではなくなる。しかも、自分の人格もまた、ピエロに乗っ取られていく。子供の誕生日パーティーの余興として、道化を演じただけなのに。もう以前の生活には戻れない。
そんなバカなお話を丁寧に見せていき、恐怖だけではなく、悲しみを描く。これはモンスターの孤独を思わせる作品なのだ。だが、そこまでだ。その先にあるものを描かなくては映画としては納得がいくものにはならない。この詰めの甘さが映画としての完成度を保てない。残念な出来になる。これでは過大評価はできない。
なぜ、こんなことになったのか。その説明なんかより、この事態によって何が生じ、どこに向かうこととなるのか。そちらのほうが大事だ。いろんな意味でバランスを欠く。