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映画・演劇のレビュー

WANDERING PARTY 『レオナール・F』

2006-09-18 23:16:39 | 演劇
 白を基調にしたセット(病院だから当然なのだが)がいい。清潔さとそれが何色にも簡単に染まっていくという事実を暗示する。そこに小劇場の主宰者である主人公の青年が入院している。同室のおかっぱの中年男はとてもおしゃべりで調子のいい男だ。彼は画家の藤田嗣治である。時空を越えた二人が当然のように同じ病室にいる。そこに驚きはないという状況でストーリーは展開していく。芝居はこの二人の男をめぐる物語。

 反戦というテーマの芝居を作ろうとする青年が現代と戦時中がシンクロする時空の中で、思いがけない体験をしていく。よくある現代から戦時中にタイムスリップするというパターンは取らない。

 藤田は政府の要請で戦争絵画を描くことになる。彼は飄々としてそれを受け入れ生きているように見える。しかし、彼が辿っていく道は誰もがよく知っている通りの棘の道である。この芝居は藤田に対して幾分説明不足すぎる。これではこの作品が描きたかったものが伝わりきらないだろう。別の時代を生きる二人の現実を同じ時間の中で見せていくことを通し、このふたつの時代が良く似た方向へと向かおうとしていることを暗示する。そのためには、もう少し藤田に対しての観客への説明が必要だと思う。

 藤田を迷惑そうに見つめながらも、何も考えずに簡単に戦争を題材にした芝居を書こうとする青年はとんでもない状況に追い込まれていく。仲間が思想犯として次々に検挙され、自分の書いたささやかな芝居のために傷ついていくのを病室で茫然と見守るしかない。たかが芝居じゃないかと安易に語る21世紀の能天気な青年の姿がそれを見守る藤田の軽妙さとの対比の中で残酷に際立つ。藤田の覚悟と青年の安直さの対比の中で芝居のテーマは明確に示される。

 今は平和な時代だからなどと安易に語ることの怖さをこの芝居はさらりと見せてくれる。

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