習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

劇団ARK『銀の鈴』

2011-05-23 21:08:14 | 演劇
3度の舞台化を経て、自らの手で実写としての映画化も為された本作品を、さらにもう一度、芝居として作り直しての公演である。劇場のサイズや、さまざまな状況に合わせて、その都度改訂を加え、いくつもの視点から対馬丸の悲劇を見つめ直して、上演してきた。そして、今回もまたこの空間に合わせ台本の改稿が為された。これは再演ではない。ヴァージョン・アップされた新作だ。齋藤勝さんにとって、これは、文字通り、ライフワークなのである。

10年の歳月をかけて、何度となく取材をくりかえし、現地の人たちとの交流の中から見えてきたいくつものもの、視点。それがもう一度純化された形で、今回のこのシンプルな作品の中で生かされる。極限にまで削ぎ落とした今回のヴァージョンは、お話の核となる部分のみにスポットを当てた70分程の短い芝居だ。装置も簡略化し、劇場も、常設の小屋ではなく、古いビル(細野ビルヂング)のスペースをそのまま使う。

兄と妹のドラマに焦点を絞り込んで、子供たちを内地への疎開に送り出し、その結果自分ひとり生き残った男(菊地潤)の悔恨を軸にして、彼が死者たちと過ごす時間を静かに描いていく。受け入れがたい事実(対馬丸沈没)を目の前にして、それに抗うのではなく、(大体、そんなこと、不可能である)過ぎてしまったあとの「今」という時間の中にいる彼の姿を描く。その何時ともしれない時間の中で、漠然と佇む。彼の時間は、あの日で止まったままだ。そんな彼の「今」自分がいる立ち位置から、見失ってしまった「今」を取り戻す。

自分が死なせた子供たち。大切な妹。ほのかな想いを抱いていた同僚の女先生。友人、知人。彼のもとを訪れてくるそんな死者たち。この時間を通して、失われてしまったものを追憶するのではない。「今を生きる」ことを描くのだ。たくさんの無念の死を受け止めて、そこから、これから先の人生を生きていく。その意味を問いかける。過去の悲惨な出来事を描くのではなく、「今」をそこに描くことをテーマにした。そんな齋藤さんの願いがしっかり届く秀作である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミジンコターボ『いたずら王... | トップ | 浪花グランドロマン『世界は... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。