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映画・演劇のレビュー

『泣き虫しょったんの奇跡』

2018-09-16 21:39:14 | 映画

 

久しぶりで映画にこんなにのめり込んで見た。最近、映画を見ることがあまり楽しくなくて義務感(仕事ではないからそんなわけないのに)のようになっていた気がする。なんとなく、見て、終わり。見流すって感じのルーティーンワーク。そこには感動はないし、見た先から忘れていく。(秘密だが、実は、芝居も、そうなのだ))自分の感性がどんどん鈍くなってきているのも原因だろうが、それ以上に無感動。(これはもっと秘密なのだが、実は仕事も同じ状態なのだ!)だから、あまり映画も芝居も見ていない。正直ものなので、気が進まないのに行くのはムリ。でも、行かないし、行けないし、で、何もしない、というのはどんどん自分をダメにしてしまう。確かに仕事のほうは忙しいし、母親の介護も大変でストレスばかりなのだが。(実は、そこが原因なのだ。そんなことはわかっているけど。)

 

昔は、映画を見ているときは現実なんか忘れて、映画の中に没頭した。現実がつまらないから映画に中に逃げていた。でも、今は現実があまりに忙しくて、映画を見るくらいなら寝ていたい、と思う。でも、そんなことをしても、疲労は蓄積されていくばかり。息抜きではなく、生きるために優れた映画を見て刺激をもらうべきなのだ。

 

そんなこんなで、この映画を見てきた。豊田利晃監督がデビュー作『王手』以来の将棋映画に挑む。(確か彼は『王手』の脚本が初仕事のはず)いや、この映画を見て、興奮したから、そんなことを思い出したのだ。もっと、この映画を見ていたい。この映画の世界に浸っていたい、と心から思った。エンドマークの先にあるしょったんのその後を見たい、と思わせる。こんなにも感情移入して映画を見るのは久々の体験だった。ほんとうは映画はそんなふうにして見るのが当たり前なのに、映画に狎れすぎて、映画が特別じゃなくなっていた。これは自分を初心に戻してくれる映画。

 

ただ好きなことをずっとしていたいから、だから将棋をしていたい。プロになりたい、というのはそこに付随したものだ。プロの道を閉ざされた彼が、もう一度プロを目指して起こす奇跡を彼の周りで、彼を応援してくれる人たちとともに見守る。しょったんと一緒にこの映画の中を生きている。気持ちを共有できた。彼が再びプロを目指して挑戦するのを、まるで自分のことのように応援する。スクリーン内だけではなく、客性の僕らも彼の戦いを自分のこととして見守るのだ。そんな夢のような時間を過ごさせてくれる。それは映画ならあたりまえのこと。だけど、なかなかそうもいかないことも事実だ。豊田監督は全く感情を昂ぶらせることなく、鈴鹿に彼をみつめる。あざとさがない。タイプとしては『ロッキー』なのだが、まるで違う。娯楽映画のあざとさとは無縁の誠実さがここにはある。だから、こんなにも素直に感動できる。松田龍平だけでなく、ワンシーン出演の妻夫木聡や、藤原竜也まで、最高の演技を見せる。


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