『キャプテンアメリカ シビルウォー』を貶して、さらには、『デッドプール』まで扱き下ろして、その先で、この映画を褒めるなんて、映画ファンにあるまじき行為ではないか、と罵られそうだが、僕はその3本では明らかにこれが正しいヒーロー映画の在り方を体現していると思った。前作である『変態仮面』はあまり買わない。それだけに、今回もまるで期待しないで、見た。というか、見るつもりもなかった。(ごめんなさい!)だけど、満を持してようやく見た『キャプテンアメリカ シビルウォー』に裏切られ、その傷を癒すため急遽翌日見た『デッドプール』にがっかりさせられた僕はもうマーベルコミックが、ではなく、「ヒーローもの」の映画が信じられなくなり、(大げさだなぁ)最後の頼みの綱であるこれを翌日すべての予定に優先させて見に行くこととなった。
もちろん、何の期待もしてない。ただ。もう1本、今、「ヒーローもの」の映画が公開中だ、という事実から、である。 今回のポスターもカッコよかった。福田雄一渾身の一作なのかもしれない、と少し期待した。変態仮面の賭ける鈴木亮平の心意気も好き。彼のアプローチは勘違いスレスレだけど、素晴らしい。前作『変態仮面』の頃とは状況が違う。もうこんなおバカな映画なんかやめてもいい。だけど、彼はそうは思わない。反対にどんどんおバカなキャラに邁進する。今TVで着ぐるみのうさぎを着て頑張っているのもそうだ。色者ではなく、確かな信念のもと、演じているのが伝わってくる。昨年の傑作『俺物語』なんてまさにそういう試みの到達点だ。こんな恥ずかしいキャラをふざけてではなく、本気で演じる。そうすることで、福田監督の目指す世界を体現できる。
この最強コンビが、究極のヒーロー映画に挑戦したのだ。もちろん先のハリウッド大作映画の製作費には及ばない。というか、まるでスケールが違う。だが、その心意気は遥かに凌ぐ。しかも、気負うことがない。とても軽やかに主人公の純愛を貫く。変態仮面(それは狂介くん自身だ! 彼の想いが具現化したのが変態仮面で、彼は決して変態ではない!!)は正義の人である前に、愛の人なのだ。大好きな愛子ちゃんを守るためならすべてを捨てる覚悟だ。 そんな単純で本気がこのふざけた映画を感動的なものとする。福田雄一は、ふざけていない。ふざけたように見えるシーンの数々に笑いながら、そこに留まることはない。そこが『デッドプール』との差だ。あの映画は、どう、僕たちふざけてるでしょ、と余裕をかますところが鼻に付いた。でも、福田監督にはそんな余裕はないし、彼は本気だ。作り手の本気は確かに伝わる。
PS
実は昨日、この映画と同じ福田雄一が脚本を提供した新作『任侠野郎』も見てきた。(公開2週目で打ち切り、今週はなんばだけで1日1回上映という扱い)ありえない映画である。今時こんなふざけた企画を通す会社はない。(「よしもと」だ!)冗談にもほどがある。しかも、劇場で公開するのだ。こんなの深夜のTVで充分な企画だ。69分というのも映画としてはふつうじゃない。福田監督は正攻法で真面目に書いている。ただ、演出が彼の意図を汲めていないのか、力量がないのか、完全に空回りしていて、映画としては悲惨なものになっているが、貫くものは『変態仮面』と同じだ。本気で作る、という方針だ。それが貫けるか否かが、成否を握る。蛭子能収主演でヤクザ映画を作る、しかも、正統派任侠映画である。そんなの60年代で終わっている。
パロディではない。高倉健の演じたようなヒーローを蛭子能収が演じて、本気、だ、なんて、ありえない。でも、それを貫けば、もしかしたら凄いものが作れたかもしれない。冗談ではないのだ、という心意気を示せないのなら、作る意味はない。明らかに監督の責任で、蛭子さんが悪いのではない。だいたい彼が健さんの向こうを張るなんて千年早い、ということは本人は一番よく知ってるはずだ。みんなそんなことわかった上で、この映画は作られている。じゃぁ、そこに成算が生じるとしたなら、どういう仕掛けが必要か。監督は中途半端な気持ちでこの企画を引き受けるべきではなかった。