なぜ、こんな映画を作ったのだろうか。不思議でならない。どういう意図で、何を目指したか。まるで、わからない。子供のための3Dアトラクション映画。冒険大活劇。まず、そこが狙いではないか、ということは明白だ。しかし、そうだとすれば、これは大失敗している。以上、終わり。と、いうことになるのだが、それはあんまりだし、監督のロビン・ライトは頼まれ仕事で、当たり障りのないものを無難に作ろうとした、なんて、思えない。彼にはきっともっと別の意図があったはずなのだ。しかし、それはまるで伝わらなかったし、達成されてない。
孤児の少年ピーターが、自分のお母さんを探す旅に出る、海賊にさらわれて、ネバーランドに連れて行かれ、そこに母がいることを知り、俄然頑張るのだが、もう母は死んだと知らされる。しかし、母と、未知の父(まぁ、母だって未知の存在だが)に導かれて、この島の支配者「黒ひげ」から人々を守ることになる。と、ここまで書いてきて、最近これと、同じような映画を見たぞ、と気がつく。そうなのだ。『GAMBA ガンバと仲間たち』である。
ストーリーラインがとてもよく似ている。あれも、つまらなかった。つまずきは同じところにある。戦う意味がわからないのだ。もちろん、大義名分はわかる。弱者を守り、悪を倒す、という明確はコンセプトだ。しかし、主人公をつき動かすものが、それだけでは説得力に欠ける。そんなお題目だけで人は動かない。
ピーターが、勇者パンになるまでの物語。要するに、ピーターパン誕生秘話。そんなこと、わかりきっているけど、それだけでは、映画にならない。お話としてのコンセプトが見えない。というか、そんな軽いもののことではなく、作り手を衝き動かすが見えないのだ。ピーターの生きるモチベーションは何だ? 彼はこの後、このネバーランドに留まり、永遠の少年となる。成長を止めるのだが、遠まわしに、それは死を意味する。
僕たちがよく知っている『ピーターパン』のお話へと続くこのお話は、フック船長とピーターが力を合わせて悪と戦い勝利するところまでが描かれる。だが、そのあと、ふたりは仲違いをして、フック船長はワニに足を食べられる。「その後」を知る僕たちに、この映画が伝えるものは、「夢のはじまり」ではなく、悪夢のはじまり、だったのではないか。そのことを隠したままこの映画は一見、ノーテンキに幕を閉じる。もしかしたら、そのことが作者の意図だったのか、なんて勘繰りたくもなる。