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映画・演劇のレビュー

笑いの内閣『超天晴! 福島旅行』

2014-10-22 21:56:17 | 演劇
このタイトルよりも、「福島第一原発舞台化計画~黎明編~」というサブタイトルに衝撃を受けた。しかも、チラシにはちゃんと被災地の強烈な写真が使われている。そこに、イラストで観覧車やら、メリーゴーランドという遊園地のアイテムがあしらわれてある。当日パンフによると、これは「2036年にフクイチを観光地にしようという「福島第一原発観光化計画」という話」に触発された芝居だという。そんな計画があるだなんて、知らなかった。

いつものことだが、かなりヤバイ芝居になっている。高間さんは相変わらず怖いもの知らずで、しかも、本気でこの題材を取り上げて笑わせようとする。最初(開演前)の福島への合宿(及び、取材旅行)のビデオ上映にも、驚かされたが、芝居自体がディスカッション・ドラマのスタイルになっているのにも驚く。(というか、驚いてばかりだ! しかも、チラシにはちゃんとあらすじが書かれてあるのに、芝居を観る前にはそれすらも読んでなかった! だから、このストーリー展開にも驚いた)

まず、こういう展開で笑わせるのはかなり難しいはずだと思った。だが、あえてそこを承知でこれに挑む。ただのおふざけにはできない。しかし、シリアスにこの問題を扱うのでは彼らが取り上げる必要性はない。では、立ち位置をどこに取るのか。そこで、福島に観光で行っていいのか、という問題が前面に押し出される。不謹慎だ、という意見も交えながら、何が必要なことなのかを問う芝居にしたら、それって笑いの内閣ではなくなる。じゃあ、どうする? 

芝居は、滋賀県の、とある私立高校での修学旅行の行き先を決めるための学年会、というスタイルを最後まで貫く。これではどうしても、お話が平板になってしまうのは否めない。修学旅行の行き先を巡る会議。その1日目から、4日目までがドキュメンタリー・タッチで描かれる。(もうそこからして、笑いの内閣らしくない)

 その間、それぞれの思惑が錯綜し、従来の北海道スキーツアーか、仙台から福島の被災地に行く、震災ツアーにするか。旅行代理店も巻き込んで、その両陣営のやり取りだけで、最後まで押し通す。なぜ、被災地なのか。しかも、福島の原発までを視野に入れる企画をどう通すか。放射能に対しての認識や、子供たちの反応をどうするか。これは、シリアスにならざるを得ないような内容である。中途半端に笑わせるために手を出せるようなものではない。だから、高間さんは本気でこの企画で笑わせてやる、と思ったみたいなのだ。

 いつものように、まじめに笑わせるための手段を講じる。だが、なかなか笑えない。まじめだけでは笑えないのも事実なのだ。芝居は校長側と副校長側の対立、権謀術数が中心になる。だが、そんなちまちましたやり取りを完全に破壊するのが、ヒロインがマイクを持って歌いだすシーンだ。この唐突な挿入がすばらしい。(しかも、アンコールまで含めて3度もある。)彼女の真剣な表情と、被災地への想いをこめた歌とのアンバランス(それがなぜか、アンバランスなのだ!)には、笑える。真剣になるところで、真剣にマイクを持ってカラオケで歌うのだ。しかも、そこが高校の会議室であるところもいい。こういうイメージの飛躍が、他にももっとあればよかった。

 副校長の女癖の悪さ、とか、バカな旅行会社の失態とか、では笑えないし、それでは話の本質からはずれていく。本質からはずれることなく正攻法で、この問題を描くと、それが笑える芝居になる、わけではない。これは無謀とも言える戦いだ。だが、とんでもない事態を真剣に考えて、それが結果的にバカバカしい笑いに転じる。観光して何が悪いと居直る旅行業者の女の貪欲さは面白い。ただ、敵をどこに設定するのか難しいところだ。いろんな意味で大変な芝居である。


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