泥臭くて垢抜けない。でも、とても暖かくて、気持ちがいい。これこそ新撰組の芝居だ、そう思わされる。そんな作品を南陽子さんが作った。そのことを心から喜びたい。いくつもの試行錯誤を経て、ようやくここまでたどりついたのだ。2時間超えの大作である。これは彼女の本格長編作品第1作でもある。さらには、結構ダークな内容でもある。きちんと世界観を確立して、ここに描かれる社会の在り方を背景にして怖い作品を作ることも十分可能だった。しかし、南さんは、もとい、新撰組は、そういうことをしない。
あくまでも、明るく、前向きな作品として全体をまとめあげる。こんな世界であったとしても、そこには未来がある。ここに踏み止まることで、人は生きていける。テーマの設定をそういうところの持ってくる。SF的な世界であり、近未来の日本を描いた作品でもあるのだが、そういうことを前面には押し出さない。設定は重要ではない。そこにいる人たちそれぞれの個性のほうが立つ。
そこはホームレスを集めて保護するという名目だった施設。政府の政策として作られた理想郷、のはずだった。大阪にオリンピックを誘致した際に生まれたささやかなコミューン、そこで彼らは今も生きる。今では有名無実なものになっている。それどころか、そこは産業廃棄物の処理所になっている。やがて、彼らも廃棄される。そこは無用な人間を処理して捌く施設なのだ。食糧難から、人肉を食し、生きることを暗黙に強要する。なぜ、そういう体制ができたのかは、明確には描かれない。そのシステムもわからないままだ。だが、そこに描かれる「人間がゴミになる」というイメージは理解できる。この作品はそういう悪夢のイメージから発想されたようだ。
消えていこうとする日本に留まり、未来の展望もなく、ただ、今を生きていこうとする人々の姿を通して、そこに人としてのあるべき姿を見出し、そんな彼らを肯定的に描く。人はタカラ、というイメージと現実にはゴミとして処理されていくこと。その相克の中で、あくまでも前向きで、人間くさい作品として立ち上げていく。新撰組の目指す芝居がここにはある。
あくまでも、明るく、前向きな作品として全体をまとめあげる。こんな世界であったとしても、そこには未来がある。ここに踏み止まることで、人は生きていける。テーマの設定をそういうところの持ってくる。SF的な世界であり、近未来の日本を描いた作品でもあるのだが、そういうことを前面には押し出さない。設定は重要ではない。そこにいる人たちそれぞれの個性のほうが立つ。
そこはホームレスを集めて保護するという名目だった施設。政府の政策として作られた理想郷、のはずだった。大阪にオリンピックを誘致した際に生まれたささやかなコミューン、そこで彼らは今も生きる。今では有名無実なものになっている。それどころか、そこは産業廃棄物の処理所になっている。やがて、彼らも廃棄される。そこは無用な人間を処理して捌く施設なのだ。食糧難から、人肉を食し、生きることを暗黙に強要する。なぜ、そういう体制ができたのかは、明確には描かれない。そのシステムもわからないままだ。だが、そこに描かれる「人間がゴミになる」というイメージは理解できる。この作品はそういう悪夢のイメージから発想されたようだ。
消えていこうとする日本に留まり、未来の展望もなく、ただ、今を生きていこうとする人々の姿を通して、そこに人としてのあるべき姿を見出し、そんな彼らを肯定的に描く。人はタカラ、というイメージと現実にはゴミとして処理されていくこと。その相克の中で、あくまでも前向きで、人間くさい作品として立ち上げていく。新撰組の目指す芝居がここにはある。