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映画・演劇のレビュー

喫茶モグル『ハルカチカ』

2016-12-14 21:48:09 | 演劇
とてもいい。ひとりよがりすれすれのところで、なんとか成り立っている。その危うさが素晴らしい。これは自分勝手で、わがままな芝居だ。それを若さの特権だ、なんて僕は言わない。なぜなら、彼らは切実だからだ。そんなふうにしか語れないものに、正直に向きあう。その誠実さがこの作品の魅力だ。でも、そこを、この作り手の甘え、と切り捨てる人もいるかもしれない。でも、そんな批評は気にしなくていい。自分が信じたものをしっかり表現したならよい。



彼らは切実だ。(作、貫曜次。演出、後村潜ル。でも、このふたりが同一人物かもしれない)作者の中にある痛みが確かなものとして伝わってくる。1995年。2001年。2011年。2016年。描かれる4つの時間。父の死。空っぽの部屋。ひとりぼっちの葬儀。そこに帰ってくる父。今はあの頃と交錯する。今の千佳とあの頃のチカ。あの日、チカのもとにやってきた見知らぬ女の子、ハルカ。父から届いた葬儀の案内のはがきを持つ。そこには「自分はもうすぐ死ぬから、ぜひ来てください」とある。バックパッカーのハルカの明るさ。



阪神淡路と東日本大震災というふたつの大きな喪失のはざまにある父の小さな死。そこを拠点にして(それが21世紀の始まりの年でもある)、大人になった15年後の今の千佳がいる。35歳という年齢も微妙だ。あれから15年。二十歳前だった(19歳)チカは大人になった千佳と出会う。



はっきりとしたストーリーを示すことなく、漠然としたイメージの羅列。旅に出ることなく、ここにとどまり続けるチカ(千佳)と、旅から旅への暮らしを続けるハルカ。もうここにはいない父と語り合う。そこには確かにいたはずの父が現れ、ハルカのバックパックを背負い、旅に出る。



小さな棺に収まった父の亡骸。小さな羽を背中に付けて、旅立つことができたなら、どれだけ楽なことだろうか。天真爛漫なハルカと無表情でうつむくチカ。15年の歳月を通して一人の少女の再生への道が示される。
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