初めてイロリムラに行った。こういうスペースってなんだかうれしい。ここを拠点にしていろんなことをしようとする。ここにくればきっと面白いものに出会えれる、そんな気分にさせてくれる場所って、幾つあってもいい。中庭の左奥にあるプチホール(慎ましいネーミングだ)での公演である。中庭から続くレッドカーペットがホールへとつながる。入り口から、劇場内部。更にその先へと。これがこの芝居の唯一の舞台美術である。シンプルだけど、とてもよく考えられてある。
太田省吾の戯曲を森田祐利栄さんと仙台シアターラボの原西忠佑さんが演じる。夫婦の話である。かつてここには、彼らの住んでいた家があった。今は更地となっている。そこで、2人が語り合う。これまでの日々、思い出の数々。感傷的な芝居になってもおかしくはない。だが、演出の笠井さん(主演の森田さんと共同)はそうはしない。ただ淡々と見せていく。だが、それは2人を突き放すのではない。彼ら自身が自分たちとちゃんと距離を取りながら、世界をみつめるのだ。過去を振り返るのではない。今あるこの場所で、未来につながる過去と再会するのである。忘れていたものを、取り戻すことも含めて、未来をみつめる。
このアプローチはもともとこの戯曲が持っていたもので、それを笠井さんは忠実に再現したに過ぎない。だが、テキストに忠実なアプローチはこの作品の持つ可能性を最大限に広げる。ここが到達点ではなく(子育てを終えた夫婦の話なのに)出発点として、あるいは長い旅の途中として位置付けられる。ふたりの子供の頃、もちろん出会う前の話から、出会って恋をして結婚し、子供が出来て、彼らが成長する。それはどこにでもあるありきたりな日常の点描である。それをことさら特別なものにする必要もない。感情を交えず淡々と見せることで、普遍性を勝ちとる。セオリー通りの展開だろう。
カーペットがホールの中央で途切れることなく、更に先へと延びているのも象徴的だ。その赤と、彼が鞄から取りだす白(とても大きなシーツ)の対比も象徴的だ。彼らはそのシーツをかぶってその中で会話を交わしたりする。更地になったかつての家に跡地で、冷静に現実を受け止め、その先に向かおうとする夫婦の姿に生きる希望を見出す。70分という上演時間も慎ましい。
太田省吾の戯曲を森田祐利栄さんと仙台シアターラボの原西忠佑さんが演じる。夫婦の話である。かつてここには、彼らの住んでいた家があった。今は更地となっている。そこで、2人が語り合う。これまでの日々、思い出の数々。感傷的な芝居になってもおかしくはない。だが、演出の笠井さん(主演の森田さんと共同)はそうはしない。ただ淡々と見せていく。だが、それは2人を突き放すのではない。彼ら自身が自分たちとちゃんと距離を取りながら、世界をみつめるのだ。過去を振り返るのではない。今あるこの場所で、未来につながる過去と再会するのである。忘れていたものを、取り戻すことも含めて、未来をみつめる。
このアプローチはもともとこの戯曲が持っていたもので、それを笠井さんは忠実に再現したに過ぎない。だが、テキストに忠実なアプローチはこの作品の持つ可能性を最大限に広げる。ここが到達点ではなく(子育てを終えた夫婦の話なのに)出発点として、あるいは長い旅の途中として位置付けられる。ふたりの子供の頃、もちろん出会う前の話から、出会って恋をして結婚し、子供が出来て、彼らが成長する。それはどこにでもあるありきたりな日常の点描である。それをことさら特別なものにする必要もない。感情を交えず淡々と見せることで、普遍性を勝ちとる。セオリー通りの展開だろう。
カーペットがホールの中央で途切れることなく、更に先へと延びているのも象徴的だ。その赤と、彼が鞄から取りだす白(とても大きなシーツ)の対比も象徴的だ。彼らはそのシーツをかぶってその中で会話を交わしたりする。更地になったかつての家に跡地で、冷静に現実を受け止め、その先に向かおうとする夫婦の姿に生きる希望を見出す。70分という上演時間も慎ましい。
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