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映画・演劇のレビュー

TAMHIM『マハズレ』『果ては戦友になる』『地区Kのこと』

2015-06-09 22:02:15 | 演劇

この週末、5本の芝居を見た。そのいずれもがとても刺激的で当然、圧倒的に面白く、こんなに芝居が面白かったのか、と思わせるものばかりで、今年最高の週末となった。

その5本の1本目がこのプロジェクトだ。短編2本と中編1本の3作品を一気に見せられる。2時間20分。怒濤の連作だ。6人の作家たちが集まり、共同制作する。競い合うのではなく、刺激を与えあい、思いもしない世界を提示する。お互いの可能性を助長させ、新しい可能性を提示する。「共同創作で人と劇場を繋いでみせる」というチラシにある宣言は、単なるこけおどしではなく、事実だ。彼らはあらゆる局面からその命題に挑み、そこからどんな化学反応を起こすことになるのか、楽しみにしている。気負いではなく、冷静な事実。旅を通して、どんどん変化していく作品を、自分たちが楽しんでいる。松山、一関、大阪、東京。選ばれた4か所には、彼らの思惑がある。偶然も必然に変える。メンバーの出身地、メンバーが終結した場所。「座・高円寺」の演劇研修所「劇場創造アカデミー」研修生6人。

最初の『マハズレ』に圧倒された。こんなのありなのか、と茫然とした。衝撃はダンサーである黒田真史のパフォーマンスなのだが、それを提示するための仕掛け。台本を書いた佐々木琢は、自分のことをそのまま、戯曲にする。自分が抱える病気。手術の後を見せる。父と母も同じ病気で、と語られる。でも、姉はそうじゃない。これはそんな家族4人のお話だ。サザエさんの歌が流れる。おねえちゃんのことを話します、と言う。そこから、本格的にこの作品は動き出す。姉が登場し、彼女は一切言葉を発しない。彼女のダンスは内面の、心の説明ではない。彼と彼女の(弟と姉)関係性を通して、家族を描くのでもない。いや、そういうことも、十分に読み込める。しかし、ただただ、彼女のダンスに圧倒されるのだ。牛乳を飲むという、ただ、それだけのことが、どうしてこんなにもエロチックで刺激的なのか。意味を説明するのは、簡単だ。しかし、意味なんか簡単に超越するものがここにはある。狭い空間が世界になる。家族に歴史を描くはずが、そこから大きくはみ出すものがある。黒田真史の身体のしなやかさ。それを見つめる弟である佐々木琢の視線。彼らを見る観客である僕たち。演出、音は彼らをきちんとサポートする。強固な意志。予想外のパフォーマンスは僕たちを遥か彼方へと連れていく。

この作品と比較すると、つぎの『果ては戦友になる』はおとなしい。だが、コンパクトに描かれる男と女の根源的な戦いは、ある種の普遍性にすら達する。結婚を巡るお話が生々しく描かれる。これも、過激だ。お互いの言い分が、衝突する。だが、そんな戦いが最終的にはとても穏やかな時間の中に収斂していく。特別な関係性でも、意外性の追求でもなく、どこにでもある夫婦の肖像に収束する。

最後の『地区Kのこと』はある種のドキュメンタリー演劇だ。取材したソースを使い、彼らへのインタビューは3人のパフォーマーによって提示される。だが、その言葉自身が大事なのではない。出来事の説明ではなく、彼らの肉体を通して提示させる言葉は言葉自身の意味を超越する。指定廃棄物の仮設焼却施設設置を巡る報告劇。告発ではなく、事実の記録のように見せて、声の集積が、この地区の今と未来を指し示す。この臨場感。不安と恐怖を秘めながら、ここにある現状がリアルに伝わってくる。こんなやりかたもあるんだ、と、新鮮な驚きに包まれる。

ここにあるのは、答えではない。事実の提示が、観客の想像力を喚起する。これこそが、僕たちが求める刺激的な演劇体験だといえる。

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