金蘭会高校の『修学旅行』を彼女たちの本拠地であるウィステリアホールで見た。春休み公演として「修学旅行~金蘭style2012~」と題された本作品は、昨年夏、勤務している高校の視聴覚行事として見た青年劇場によるオリジナル版とは、違い、ちゃんと金蘭会らしいアレンジがなされてある。彼女たちがやると、どんな作品も自分たちのカラーに染まってしまうのがおもしろい。だから、いつも「金蘭スタイル」とサブタイトルを施すのがよくわかる。
現役高校生が、この作品を演じるということが、まず興味深い。しかも、演じるのは金蘭のメンバーである。あのテキストを彼女たちがどう解釈し、どこに話を持っていくのかも気になるところだ。もちろん総演出の山本篤先生の思惑も含めて、オリジナルとは全く違う新しい『修学旅行』が見れるのを楽しみにしていた。
仕上がった作品は思った以上に単純な芝居になっていた。戦争のことよりも、子供たちの生き生きした姿の方が、印象に残る。舞台上で大はしゃぎする彼女たちのハイテンションをまず楽しむ。それだけ、と言ってもいいくらいの単純さ。沖縄に修学旅行に来て、先生たちはここで戦争についての学習を子供たちに施すつもりなのだが、彼女たちは、ただ楽しい時間を過ごすことが目的で、当然、そこには意志の疎通はない。ここが沖縄で世界では様々なところで戦争が今も続いていて、これは過去のお話ではないということを実感させる終盤の怖さは、かなり薄味になった。
演じる彼女たちが、あまりに元気で、無邪気だから、そうなる。でも、それはそれでいい。大人の意図ばかりが、前面に出た計算された芝居よりも、はちゃめちゃで、元気いっぱいの、ただ遊んでいるだけのような作品の方がいい。意図的で、メッセージが明白なものではなく、それがかき消されるくらいの作品であればいい。
彼女たちがここに来て、青い海、広い空を実感し、それが満喫できたなら、それだけで充分なのだ。この芝居がそんな青春の1ページを刻むことが出来たなら、成功だと思う。だが、ここでかつて戦争があり、今もここにはたくさんの基地があり、ここからイラクに米兵が飛び、たくさんの人が死んだ事実は消えないし、それを彼女たちは確かに感じたはずだ。それだけが描けたならいい。
現役高校生が、この作品を演じるということが、まず興味深い。しかも、演じるのは金蘭のメンバーである。あのテキストを彼女たちがどう解釈し、どこに話を持っていくのかも気になるところだ。もちろん総演出の山本篤先生の思惑も含めて、オリジナルとは全く違う新しい『修学旅行』が見れるのを楽しみにしていた。
仕上がった作品は思った以上に単純な芝居になっていた。戦争のことよりも、子供たちの生き生きした姿の方が、印象に残る。舞台上で大はしゃぎする彼女たちのハイテンションをまず楽しむ。それだけ、と言ってもいいくらいの単純さ。沖縄に修学旅行に来て、先生たちはここで戦争についての学習を子供たちに施すつもりなのだが、彼女たちは、ただ楽しい時間を過ごすことが目的で、当然、そこには意志の疎通はない。ここが沖縄で世界では様々なところで戦争が今も続いていて、これは過去のお話ではないということを実感させる終盤の怖さは、かなり薄味になった。
演じる彼女たちが、あまりに元気で、無邪気だから、そうなる。でも、それはそれでいい。大人の意図ばかりが、前面に出た計算された芝居よりも、はちゃめちゃで、元気いっぱいの、ただ遊んでいるだけのような作品の方がいい。意図的で、メッセージが明白なものではなく、それがかき消されるくらいの作品であればいい。
彼女たちがここに来て、青い海、広い空を実感し、それが満喫できたなら、それだけで充分なのだ。この芝居がそんな青春の1ページを刻むことが出来たなら、成功だと思う。だが、ここでかつて戦争があり、今もここにはたくさんの基地があり、ここからイラクに米兵が飛び、たくさんの人が死んだ事実は消えないし、それを彼女たちは確かに感じたはずだ。それだけが描けたならいい。