下巻は結局ほぼ1日で読んでしまった。朝から読み始めて、仕事を挟んで深夜までで、大体を読み終える。(少し、翌朝に残したのは、読み終えるのがなんだかもったいなくなったから)
一気だった。読み始めたらもう止まらない。上巻も2日で読んだから、900ページもあるのに、(しかも、週の後半で仕事も忙しいのに、水曜日から土曜の朝まで、という微妙な時間で)このスピードだ。気になって仕事が手に付かなかったほど。
今、ようやく読み終えて、ほっとする。心地よい感動に包まれている。ここには沢木さんが望んだことのすべてがある。読むことによってそれが見えた気になる。(まぁ、そんなのは僕の独りよがりだけど)読み終えたときも、やっぱりな、と思った。そこには想像した通りのラストが用意されている。だが、それは予定調和というわけではない。ここにくるな、というのは読めるけど、(それを予定調和というのだが)そのあまりの符合に笑ってしまうけど、でも、それはとてもしっくりとくるし、ちゃんと腑に落ちる。答えは最初からわかりきっていた。それ以外にはない。そこに向かって一直線に突き進んでいく。勝負とはそういうものだ。ギャンブルとはそうなるものだ。そして、人が生きるということもそれに同じ。
バカラに嵌ってしまった彼はすべてを棄ててこのギャンブルに賭ける。そして破滅する。波の音が消えるまで戦い続けることで、彼は一瞬、神になる。しかし、その一瞬が過ぎてしまうと、後に残るのは虚無だけである。すべてを手にすることも、すべてを失うことも同じなのだ。それがギャンブルだと思う。そしてスポーツも、結局は同じだろう。さらには、生きることも。それを空しいと、思ったなら、その瞬間にゲームオーバー。
バカラの必勝法を手にした劉さんは勝負をやめて死んでいった。同じように、それを手にした航平は生きるために敢えて破滅した。こんなふうにしか終われないことは、最初からわかっていたことだ。永遠に続くような単純な戦い。彼らは大金を手にすることも、破産することも紙一重の現実の前で、それを繰り返し続ける。すべてが幻で、現実。そのあわいで彼はついに波の音を聞く。ビッグ・ウェーブがやってくる。その波に乗るまで。そして、その音が消えるまで。ノースショアであの時感じたあの恐怖を再び、そこに見る。
だが、そこでは終わらない。ちゃんとその先も描かれる。あの幸福なラストをどう受け止めるか。ここにたどりつくための小説だったのだ。
一気だった。読み始めたらもう止まらない。上巻も2日で読んだから、900ページもあるのに、(しかも、週の後半で仕事も忙しいのに、水曜日から土曜の朝まで、という微妙な時間で)このスピードだ。気になって仕事が手に付かなかったほど。
今、ようやく読み終えて、ほっとする。心地よい感動に包まれている。ここには沢木さんが望んだことのすべてがある。読むことによってそれが見えた気になる。(まぁ、そんなのは僕の独りよがりだけど)読み終えたときも、やっぱりな、と思った。そこには想像した通りのラストが用意されている。だが、それは予定調和というわけではない。ここにくるな、というのは読めるけど、(それを予定調和というのだが)そのあまりの符合に笑ってしまうけど、でも、それはとてもしっくりとくるし、ちゃんと腑に落ちる。答えは最初からわかりきっていた。それ以外にはない。そこに向かって一直線に突き進んでいく。勝負とはそういうものだ。ギャンブルとはそうなるものだ。そして、人が生きるということもそれに同じ。
バカラに嵌ってしまった彼はすべてを棄ててこのギャンブルに賭ける。そして破滅する。波の音が消えるまで戦い続けることで、彼は一瞬、神になる。しかし、その一瞬が過ぎてしまうと、後に残るのは虚無だけである。すべてを手にすることも、すべてを失うことも同じなのだ。それがギャンブルだと思う。そしてスポーツも、結局は同じだろう。さらには、生きることも。それを空しいと、思ったなら、その瞬間にゲームオーバー。
バカラの必勝法を手にした劉さんは勝負をやめて死んでいった。同じように、それを手にした航平は生きるために敢えて破滅した。こんなふうにしか終われないことは、最初からわかっていたことだ。永遠に続くような単純な戦い。彼らは大金を手にすることも、破産することも紙一重の現実の前で、それを繰り返し続ける。すべてが幻で、現実。そのあわいで彼はついに波の音を聞く。ビッグ・ウェーブがやってくる。その波に乗るまで。そして、その音が消えるまで。ノースショアであの時感じたあの恐怖を再び、そこに見る。
だが、そこでは終わらない。ちゃんとその先も描かれる。あの幸福なラストをどう受け止めるか。ここにたどりつくための小説だったのだ。