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映画・演劇のレビュー

『十三人の刺客』

2010-10-03 16:28:30 | 映画
 工藤栄一監督の傑作時代劇巨編のリメイク。三池崇史が渾身の力を込めて作り上げた超大作である。よくぞ、ここまでやってくれた。拍手を惜しまない。だが、そこまでやっても映画は傑作にはならない。当然オリジナルを凌駕出来ない。スタイリッシュな工藤映画と違い、とても泥臭くて、人間臭い。どちらかというと、『七人の侍』に近いタッチである。だが、比較対象としては分が悪い。あの日本映画史上燦然と輝く最高傑作と比肩することは不可能だ。もちろん三池もそんな映画を作ろうとしたのではない。自分は自分の映画を作るだけだ、と彼は思っている。その心意気は悪くない。黒沢明と張り合っても意味はない。もちろん工藤栄一ともである。

 正義のために命を賭けるバカな13人の男たちの文字通り命を棄てて義に生きる姿が描かれる。たった13人で300人に立ち向かう。斬っても切っても、終わらない。壮絶なクライマックスは、これでもか、これでもかの肉弾戦で、その残酷さには目を覆いたくなる。三池はここにリアルさを求めた。それでいい。だが、見終えた時、なんだか虚しかったし、後味も悪いのはなぜだろうか。

「これは日本に原爆が落とされる100年前の話である」という冒頭のクレジットの意味を噛みしめる。アメリカの勝手な正義のため、何の罪もない人たちが無差別に殺され、苦しんだこと。戦争の名のもとになら何をしてもいいのか、という思い。それがこの殺し合いの根底にある虚しさにつながるのだろうか。

 史上最悪の暴君がいる。彼がこの国の実権を握ったなら、この国は壊れてしまう。それを阻止するため彼を殺さなくてはならない。この単純極まりない設定のドラマが壮大なスペクタクル時代劇となるのは、必定のことだ。そして、見終えた時虚しさが残るのも作者の狙いだろう。だが、なぜか納得がいかない。2人だけが生き残る。山田孝之と伊勢谷友介。彼らが何を思い何処に行くのか。そこが、この映画のテーマだ。深追いはしない。2人とも自分が愛した女のもとに帰る。この2人の女の役を、なんと吹石一恵が2役で演じている!そこにも作者の意図がしっかり刻まれている。お話は実は単純ではない。だが、それが中途半端なまま提示されるのが、気になる。

 もう一度、元に戻る。この映画のメーンとなるドラマは、たった1人を殺すために300人を殺さなくてはならないという部分だ。だが、はたして皆殺しは必要なのか。そこには理由はない。あの残額非道の男(稲垣吾郎が演じている!)ひとりを殺しさえすればいいのだ。なのにそのために無意味とも思える殺戮が延々と続く。それがリアルだからこそ、見ていて不快になってしまった。主君を守るため身を呈した家臣がいて、そのため彼らを殺さなくてはたどりつかないのは確かなことだろう。だが、なんか、納得がいかない。

 それにしても、凄まじい映画である。ここまでやられるともう何も言えないのも事実だ。これを作り上げたスタッフ、キャストには頭が下がる。これだけの映画を作るためにはどれだけの時間とお金が必要か、想像もつかない。もちろん大事なのはそんなことではない。これはただ湯水のようにお金を使うハリウッド映画とはまるで違う。細部にまで目が行き届いている。精魂込めて作った大作だ。そこは認める。だが。

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