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映画・演劇のレビュー

劇団きづがわ『通りゃんせ 昭和の残照』

2010-06-08 22:58:29 | その他
2話からなる連作。「昭和を生きた庶民の哀歓を綴る」というが共通テーマで、2000年秋から冬を舞台とする。平成となりさらには20世紀も終わっていくという時間の中で、昭和は確かに終わったのだと実感する。年老いた2人の男女をそれぞれ主人公にして、市井のどこにでもいる庶民の姿を通して彼らが生きた時代って何だったのだろうかを検証していく。もちろんそんな大袈裟なことではない。2つのシチュエーションをさらりと提示しただけだ。そのさりげなさがいい。

 大仰にテーマを振りかざし、時代を糾弾するわけではない。この世界の片隅でひっそりと生きる名もない人々の姿を1本40分ほどの短い時間の中でスケッチしていくに止める。その欲のなさがいい。演出の林田時夫さんは、台本(静岡の地域劇団である静芸の小島真木さんの作品)に書かれた世界をとても丁寧に再現する。

第1話「年の暮れ」は老人ホームの大晦日の夜。主人公は、ひとりの老人(山本惣一郎)と、彼の世話をする初老の介護士(山田一巳)。みんな家族のもとに戻っているから、ここにはほとんど誰もいない。そんな老人ホームが舞台だ。あと少しで、新しい年を迎える。でも、彼には特別なことは何もない。今はただベッドに横たわり、眠るだけだ。

 かってホームレスとなった日のことから、さらに記憶は遡り、戦争の時、戦場となった村で、ひとりの女を殺したことまで、告白する。みんな家族のもとに帰り、静かになった老人ホームの一室で2人の男が語り合う。

第2話『春子』はアルツハイマーになった初老の女性(和田雅子)の話。彼女を家に引き取るため大阪から娘がやってくる。この家での最後の日、突然30年間会うことの無かった友人が彼女を訪ねてくる。この2人の噛み合わない会話の中から、徐々に心に秘めていた想いが語られていくこととなる。在日朝鮮人との結婚。苦難の日々。一年後、夫が北朝鮮に帰っていくこと。産まれたばかりの娘と二人で生きてきた日々。

2人の男女を主人公にして、彼らに昭和という時代の様々な問題を重ねあわせ、誰もがそれぞれの思いを秘めたそれぞれの歴史があるということを描く。真面目でいい芝居だと思う。ただ、話があまりにパターン化していて、話がただの図式にしか見えないのは難点だ。目の前の問題と背後に横たわる問題のダブルスタンダードがそのことに更に拍車をかける。描くべきものは彼らの老いと現在だけでも充分なのに、そこに戦時下の加害体験や、朝鮮問題までを絡めた結果盛りだくさんになりすぎて、企画意図とは裏腹に作品に奥行きがなくなってしまったのはなんとも残念なことである。


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