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映画・演劇のレビュー

十中連合『濡れると、渇く』

2011-12-29 09:25:58 | 演劇
 こういう妄想を理屈もなく感性の赴くまま綴られていくと、見ていて退いてしまう。作り手のひとりよがりのわがままについていけなくなるからだ。しかも、1本のストーリーとして全体をまとまる力もないまま、細切れの断片の羅列をさも意図的なもののように見せられると、せめて一貫性のあるドラマとして提示してくれ、とごねてしまいたくなる。これが自分の方法論なのだ、なんて思っているのなら大きな間違いだ。きちんと見せるだけの力量があれば、まだましなのだが、筋を通すことさえ避けてしまって、イメージの提示に逃げる。それらしい描写と思わせぶりな展開で、何かあるように見せかけて、その実何もない。想像力を刺激されないから、観客は深読みなんてしてくれない。

 しかも、ラスト30分ほどは、ずっとどこで切っても構わない。なのに、延々とラストシーンの再生産を繰り返す。演じている方は感情が高ぶり、気持ちがいいのかもしれないが、見ている方はうんざりする。「もうわかったから、さっさと終わってくれよ!」と何度思ったことだろうか。

 これもまた、震災をイメージした作品なのだが、ここに描かれる終末の風景はあまりにイージーで、見ていて辛い。大体「ちょっとだけ沈没した世界」って何だ? 具体的なイメージがそれでは摑みきれない。この世界が今どうなっているのか、この子たちはどうして生きているのか、ある種の状況設定くらいは明確にしてもらいたい。天災はいきなりやってきて、周囲の状況なんかわからないまま事態は進行する、と言われたら確かにそのとおりだ、とは思うのだが、生き残るため、目の前の現実と闘うしかないのがリアルなのだ、なんて思うのなら、芝居や、映画、小説はいらない。今、あなたたちがやっているのは創作活動なのだ。ならば、あなたが作った芝居はあなたの考えを示すための世界なのである。そこをしっかりと抑えてくれなくてはダメだ。これではただのマスターベーションでしかない。

 ここに書いたようなことと同じようなことを、今年の文芸賞を受賞した今村友紀『クリスタル・ヴァリに降り注ぐ灰』を読んだ時にも感じた。あの小説は3・11以降を予見させるとかなんとか言われて、高橋源一郎に絶賛されていたが、あれも、中途半端な世界観を感情の赴くまま描いた気分で書いたような小説だった。

 独自の世界観は認める。だが、それを「器を作って魂を入れない」まま提示されても、僕はとまどうばかりだ。若い劇団が勢いだけで作った芝居である。

 ここまで、かなりボロクソに書いているけど、(ごめんなさい!)実は、見終えて、そんなに腹を立てているわけではない。本当は、こういう傲慢なまでもの高い志を持つ集団を僕は好きなのだ。だからこそ、ちょっと点が辛い。この2時間に及ぶ大作を見て良かったと思う。可能性がない集団には何も言わない。

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