昨年の日本映画ベストワン(このブログの、ですが)に輝いた『やわらかな生活』の広木隆一監督最新作。これを見逃すわけにはいかない。但し、かなり不安もあった。広木は昨年、本作のパート1でもある『恋する日曜日』も手掛けているが、それが期待に反してとても平凡な出来だった。同じ時期に撮った2本の間にこれだけのレベル差が出来たのはなぜか。明らかに作品への温度差が違う。台本と素材の差もあるが、それにしてもなぜそうなるのやら。
広木はこの手の青春映画を撮らせても、とてもいい仕事をしてきた。低予算のTVドラマの劇場版だから、手を抜くなんて考えられない。前作は男女四人の心の機微を描いたホントにさりげない話だった。夏、空家に集まる彼らのそれぞれの思いが、丁寧に描かれた。なのに、つまらない。不思議だ。
今回は、まず堀北真希が砂の上で横になるポスターが素敵だったから、もしかしたら、なんて期待もした。なのに、結果は前回と同じように消化不良な作品にしかならない。広木監督のモチベーションが全てに影響する。ここまでテンションが低い映画をなぜ撮ったのか。
末期ガンで、あと3ヶ月で死んでしまう17歳の少女が主人公。人生最期の夏、昔暮らした場所を旅する。そこには、大好きだったお兄ちゃん(窪塚俊介)が今も住んでいるはずだから。彼の住む海辺の家に行き、数日間過ごす。彼は家族と離れ、今はひとりでここで暮らしている。誰にも知られず二人きりで過ごす日々。ある意味では夢のような時間だ。
4年ぶりの再会を彼は喜んでくれる。もちろん彼にとって彼女は幼なじみの女の子でしかない。だが、彼女にとっては大好きな人だ。彼女の恋心は当然伝わらない。まるで危険もなく、ドキドキもしてくれない。それどころか、彼は今年上の人妻(高岡早紀)と不倫していて、まるで彼女のことなんて眼中にない。
この2人の心のすれ違いが、全く熱もなく描かれるから、映画は弛緩したまま、だらだら流れていくばかりだ。死んでいくまでの後わずかな時間なのに、それを無為にしているという無念。少女のそんな切実な思いを描くべきなのに、それすらしない。広木はどうしてここまで緊張感のない映画を撮ったのだろうか。やる気がないのなら引き受けなければいいのに。
死んでしまう少女と、両親の不仲に悩む6歳の女の子が、2人で、海に行く場面も全く2人のシンパシーが伝わらないから、面白くない。世界から取り残された二人がなんとなく海に入っていき、死のうと思う一瞬。そんな切なさが欲しい。どこにも居場所がないことの寂しさ。それだけが描かれたなら、これはいい映画になったかもしれない。
広木はこの手の青春映画を撮らせても、とてもいい仕事をしてきた。低予算のTVドラマの劇場版だから、手を抜くなんて考えられない。前作は男女四人の心の機微を描いたホントにさりげない話だった。夏、空家に集まる彼らのそれぞれの思いが、丁寧に描かれた。なのに、つまらない。不思議だ。
今回は、まず堀北真希が砂の上で横になるポスターが素敵だったから、もしかしたら、なんて期待もした。なのに、結果は前回と同じように消化不良な作品にしかならない。広木監督のモチベーションが全てに影響する。ここまでテンションが低い映画をなぜ撮ったのか。
末期ガンで、あと3ヶ月で死んでしまう17歳の少女が主人公。人生最期の夏、昔暮らした場所を旅する。そこには、大好きだったお兄ちゃん(窪塚俊介)が今も住んでいるはずだから。彼の住む海辺の家に行き、数日間過ごす。彼は家族と離れ、今はひとりでここで暮らしている。誰にも知られず二人きりで過ごす日々。ある意味では夢のような時間だ。
4年ぶりの再会を彼は喜んでくれる。もちろん彼にとって彼女は幼なじみの女の子でしかない。だが、彼女にとっては大好きな人だ。彼女の恋心は当然伝わらない。まるで危険もなく、ドキドキもしてくれない。それどころか、彼は今年上の人妻(高岡早紀)と不倫していて、まるで彼女のことなんて眼中にない。
この2人の心のすれ違いが、全く熱もなく描かれるから、映画は弛緩したまま、だらだら流れていくばかりだ。死んでいくまでの後わずかな時間なのに、それを無為にしているという無念。少女のそんな切実な思いを描くべきなのに、それすらしない。広木はどうしてここまで緊張感のない映画を撮ったのだろうか。やる気がないのなら引き受けなければいいのに。
死んでしまう少女と、両親の不仲に悩む6歳の女の子が、2人で、海に行く場面も全く2人のシンパシーが伝わらないから、面白くない。世界から取り残された二人がなんとなく海に入っていき、死のうと思う一瞬。そんな切なさが欲しい。どこにも居場所がないことの寂しさ。それだけが描かれたなら、これはいい映画になったかもしれない。