習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

IST零番館プロデュース『キルタイム』

2007-03-11 08:32:09 | 演劇
 いい意味でも悪い意味でも、これはラストまで一気に走り抜けていく暴走するお芝居だ。その事実からスタートしたい。もちろん勢いだけで1本の芝居を作り上げてもいい。だけど、正直言ってあのラストでは、唖然とさせられたのも事実だ。これで終わりなのか?ほんとうにそれでいいのか。

 よくわからない。というか、落としどころは一体どこなんだよ?と突っ込みを入れまくり。だって何一つ解決しないまま終わってしまうのだから。

 だいたい芝居の一番大きな節目にあたる、主人公のニートくん(小泉しゅん)が桃太郎少年(村西真知)を刺してしまうシーンまでが、それまでの流れのままで見せてしまうから、それって何なのか、観客は考える事すら出来ない。そして、その後すべてがなかったかのように日常に戻っていくから、もしかしたらこれは夢オチなのか、とすら思わされる。しかし、そんな効果も含めての演出なのだろう。

 演出は、昨年僕をうならせた突撃金魚のサリng助教授。ISTが初の本格的にプロディースに乗り出した第1作。従来の演劇文法なんて完全に無視した破天荒な作品である。

 公園で幼児が行方不明になるという事件が頻発しているということを背景にして、噂がありもしない事件を作り、結局はここでは何も起きなかったというところに帰着するという物語。

 現実世界では至る所で恐ろしい事件が起きている。この公園だっていつ惨劇の現場となるかは分からない。現に事件はここで起きていたのかもしれないのだ。

 桃太郎少年は何者なのか。そして彼を取り巻くお供の3匹(もちろん猿、雉、犬)、さらには時間ウサギとアリス。これら目に見えないものたちが、桃太郎がスイッチを入れたことでニートくんにも見えてしまう。その時から、ニートくんによる鬼退治が始まる。彼が桃太郎さえ追い越し、どこにいるとも知れない鬼の退治に出てしまうこと。そして、その旅の果てで、桃太郎を殺してしまうことが象徴的に描かれる。しかし、これらのお話が作者の世界観へとは収斂されていかない。

 この芝居の驚きはそこに尽きよう。説明なんてクソ食らえ、とばかりに芝居はそんなものを光速で追い抜いてしまって、いきなりのエンディングへと怒涛のようになだれ込んでいく。お芝居の約束なんて無視して平気でオーバーランしてしまうのだ。本当なら暴走しても終着駅にはピタリと止まってしまうものなのに、そんな常識をあざ笑うように、この芝居は暴力的に幕を閉じた。

 サリng助教授は、へたな役者たちに小手先の芝居なんかさせず、ただただ全力疾走させる。さらには、へたな歌を舞台で平気に歌わせる。彼らの内にあるエネルギーを爆発させることのみに腐心したようだ。芝居としての完成度はまるでないが勢いだけは買う。

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