とても刺激的な物語。それをセンセーショナルには当然描かない。それどころか、この物語が描くべきものからどんどん遠ざかっていくように物語が組み立てられているようにすら見える。
母と娘の静かな日々を、とても遠いところから見ていく。それは今回の公演会場であるドーンセンターという中劇場という空間のせいでもあるが、作、演出の戒田くんはこの空間の広さを逆手にとってここだからこそ出来ることとして、役者への距離感を大事にしたのだろう。彼女たちに敢えて寄り添わないこと。それが今回の課題だ。そして、それはかなり危険なことだった。
事件をクライマックスにもってきて、なぜこんなことが起きたのかを描くのならば、解りやすい芝居になったはずだが、敢えてしない。すべてが、終わってしまったあとの時間を2人だけの食卓の風景として描いていく。彼女たちを囲む世界や、人々のあり方を点描していきながら、そんな中に2人が隠れてしまうように描かれていく。しっかり見ていないとこの芝居が何を描こうとしているのかすら見失いそうになる。
闇の中にかすかな光があり、そのいくつもの光の中で、生きている。だが、その光は果たして自分に向けられたものであるか、といえばうつろな気分にならざる得ない。母が自分に向けて灯りを当てるため照明機材を取り付けるシーンが象徴的だ。ドラマの流れを敢えて中断させるような展開をわざとするのも戒田くんらしいやり方だが、このシーンは成功している。
ラストのエピソードも胸に痛い。2人は、どこに向かって行けばいいのか、わからないまま、たった2人のテーブルで、母が《京阪デパート》で買ってきたお弁当を、《晩ご飯》として食べる。このうら寂しい風景の中に2人の今がある。二重括弧にした部分がこのシーンで注目すべき部分だ。細かいことだがとても重要である。
芝居は母と娘の時間をドラマチックに見せることなく、蝕まれていく心を、なんとかして、繋ぎとめ、しっかり足を踏みしめて、ここに立っていようとする。その有様だけを見せていく。
ドンーセンターの広い舞台には大掛かりな装置は何ひとつない。ただ、茫洋とだだっ広いだけの場所。そこにひとがぽつんと立っている。人込みに紛れる2人を様々な人々が取り囲む。しかし、彼女たちはそれぞれひとりだ。母は娘を受け入れられない。娘はどうしたらいいかわからない。
戒田くんが意図したものはとてもはっきりしており、そのために考えられたことが随所に仕掛けられている。それはこの芝居を作る上で決して間違ってはいない。最初にも書いたように、とても刺激的な芝居であることは確かだ。だけれども、見終わった後、虚しさが残る。彼女たちの痛みが皮膚感覚として伝わらない。芝居がとても遠いのだ。それは演出が敢えてねらったものだということはわかっているだけに、そこに文句をつけるなんて詮無いことだ。しかし、この芝居のスタイルも含めて、全体が消化不良を起こしている気がしてならない。頭で作られた芝居でしかなく、心に届かない、と言えば言い過ぎなのはよくわかっているが、
母と娘の静かな日々を、とても遠いところから見ていく。それは今回の公演会場であるドーンセンターという中劇場という空間のせいでもあるが、作、演出の戒田くんはこの空間の広さを逆手にとってここだからこそ出来ることとして、役者への距離感を大事にしたのだろう。彼女たちに敢えて寄り添わないこと。それが今回の課題だ。そして、それはかなり危険なことだった。
事件をクライマックスにもってきて、なぜこんなことが起きたのかを描くのならば、解りやすい芝居になったはずだが、敢えてしない。すべてが、終わってしまったあとの時間を2人だけの食卓の風景として描いていく。彼女たちを囲む世界や、人々のあり方を点描していきながら、そんな中に2人が隠れてしまうように描かれていく。しっかり見ていないとこの芝居が何を描こうとしているのかすら見失いそうになる。
闇の中にかすかな光があり、そのいくつもの光の中で、生きている。だが、その光は果たして自分に向けられたものであるか、といえばうつろな気分にならざる得ない。母が自分に向けて灯りを当てるため照明機材を取り付けるシーンが象徴的だ。ドラマの流れを敢えて中断させるような展開をわざとするのも戒田くんらしいやり方だが、このシーンは成功している。
ラストのエピソードも胸に痛い。2人は、どこに向かって行けばいいのか、わからないまま、たった2人のテーブルで、母が《京阪デパート》で買ってきたお弁当を、《晩ご飯》として食べる。このうら寂しい風景の中に2人の今がある。二重括弧にした部分がこのシーンで注目すべき部分だ。細かいことだがとても重要である。
芝居は母と娘の時間をドラマチックに見せることなく、蝕まれていく心を、なんとかして、繋ぎとめ、しっかり足を踏みしめて、ここに立っていようとする。その有様だけを見せていく。
ドンーセンターの広い舞台には大掛かりな装置は何ひとつない。ただ、茫洋とだだっ広いだけの場所。そこにひとがぽつんと立っている。人込みに紛れる2人を様々な人々が取り囲む。しかし、彼女たちはそれぞれひとりだ。母は娘を受け入れられない。娘はどうしたらいいかわからない。
戒田くんが意図したものはとてもはっきりしており、そのために考えられたことが随所に仕掛けられている。それはこの芝居を作る上で決して間違ってはいない。最初にも書いたように、とても刺激的な芝居であることは確かだ。だけれども、見終わった後、虚しさが残る。彼女たちの痛みが皮膚感覚として伝わらない。芝居がとても遠いのだ。それは演出が敢えてねらったものだということはわかっているだけに、そこに文句をつけるなんて詮無いことだ。しかし、この芝居のスタイルも含めて、全体が消化不良を起こしている気がしてならない。頭で作られた芝居でしかなく、心に届かない、と言えば言い過ぎなのはよくわかっているが、