僕が見た回はムッシュハマモトによるパントマイムが開演前に付いていたのだけど、ふつうこういうプレイベントは開演待ちの緩いものなのだが、ハマモトさんはとても真剣に黙々と演じていて、ついつい見つめてしまう。しかも、彼がはけた後、芝居が静かにそのまま始まる。まるで彼までもがこの芝居の住人のよう。そういうところもまた、この芝居のキャパシティの広さだろう。どこから始まり、どこで終わったのかも、定かではない。とても不思議な芝居だ。
芝居自体もなんだかテンションが低くて、とても静かな芝居。しかも、お話しのほうは、なんだかよくわからない。なんだか淡々とした2時間。少し長いけど、まるで飽きさせない。でも、芝居自体はやはりあまり盛り上がらないまま。というか、盛り上げない。不気味なガス・マスクの人たちとか、ずっとそこにいて、何もしない男とか。なんだか。
でも、そのテンションの低さがこの作品の魅力だろう。昨年のウイングカップで初めてこの集団の芝居を見たのだが、前回とはまるで違う雰囲気で、同じ劇団だとは思えない。作り込まれたセットと、淡々とした芝居が相俟って不思議な雰囲気を醸し出す。舞台の外から、(客席の後ろから)主人公の記者がやってきて、舞台に上がる。このさりげなさが芝居全体を象徴する。越境してくる行為が特別なことではなく、とてもさりげない。主人公は、客席から簡単に芝居の中に入り込む。
ここはどことも知れない場所。そこに迷い込んだ男。村の人たちとの不思議なやりとり。彼らは何者なのか。どこに向かってお話が動いていくのか、それすら定かではない。なんだか見ていて不安にさせられる。これは不条理劇なのか。だが、その不条理の論理すら明確にはならない。男は記者で、ここに何らかの取材でやってきたようなのだが、いつまでたってもよくわからない。そのうち、もうどうでもよくなっていく。ただ、漠然と舞台を見つめるばかり。
こういう芝居は嫌いではない。芝居にはストーリーを追いかけるものと、ただ、なんとなく雰囲気を楽しむものがあり、これはきっと後者。丁寧に作られた空間で、まどろむ。彼はやがてここを去っていく。ここが何で、どういうことが起きていて、どうなるか、なんて、やはり、どうでもいい。そう思える(思わせる)、ただそれだけでもこの芝居は成功している。