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映画・演劇のレビュー

旧劇団スカイ・フィッシュ『適切な距離 ワークインプログレス2』

2008-11-30 11:30:46 | 演劇
 3月に上演された初演をこの同じ空間であるウイングフィールドで見ている。あの時はとってつけたような実験的な試みが鼻についてあまり感心しなかったが、京都でのワークインプログレスを経た今回の「ヴァ-ジョン3」は、オーソドックスなスタイルに戻り、この作品に対する見せ方も板についてきたみたいで、とても見やすくて自然な作品になった。

 もちろん手法としては今回もけっこう驚かされる部分も多くある。しかし、奇を衒うだけではなく、自分たちのスタイルとしてそれが自然に伝わってこうるのがいいのだ。無理がなくなったのは、同じ台本を繰り返すことによって、こなれてきたのも大きいだろうが、客観的に作品世界を捉えることが可能になってきたことも成功に要因だ。

 いきなり観客にむかって語り始める。しかも、1人で延々と語り始める。前口上か、と思ったが、もうここから本題に入っている。11月なのに、今が正月だが、と話をしているのだから、前口上なんかではない、と気付く。女子大生と同じゼミで芝居を作っているチームの演出を担当している男。彼ら2人のやりとり(と、言っても2人はお互いに正面を向いて、観客に語りかけているのだが)の後、入れ子型になった彼らが今作っている芝居の中に入っていく。

 ヒロインは作家であり演出家でもある男の体験したことを演じている。これは彼に自伝的作品なのである。母と娘の相克が描かれている。この劇中劇(この芝居としては、これが本題なのだが)の方も、2人の役者は正面を向いたままだ。背筋を伸ばして観客に向かって独白するばかりだ。

 小島一郎さんの演出のスタイルは演劇が会話によって成り立っているという基本を完全に無視する。言葉のキャッチボールはここにはない。観客に向かって喋っているように見えるが、その実、彼らは観客のことなんか見ていない。自分の心に向かって言葉を放っているのだ。しかも実に淡々と、である。これは実におもしろい。彼らにとって関わりあう他者なんか問題の外にあるのである。問題は自分の内面のみであり、それすらも葛藤するものではなく、ただ確固として存在するものの確認でしかない。ここまで他者との関係を無視した芝居はめったにあるまい。

 前景の2人(演出家の男とゼミの女学生)と後景の2人(劇中の母と娘)という位置関係も基本的には変わることはない。ただ演出家の男と劇で母を演じる女が絡むシーンのも会話さえ生じる。彼らはこの芝居の現実では付き合っているらしい。(なんだかややこしい)だが、この2人の話が他者との接点として提示されるのではない。それどころか彼は口を挟もうとする彼女を何度も罵倒する。彼にとって必要なのは他者との関係ではなく自己表現のになのである。

 死んでしまった息子をさも生きているように日記に登場させ、目の前にいる娘を完全に無視する母。盗み読みされていることを承知で別れた父とのことを書き続ける娘。この2人のそれぞれの日記を通して、この母子の関係性を立ち上げていこうとする演出家の試みが彼の現実の時間と平行して描かれていく。

 日常はどんどん増殖していく。この芝居が終わってしまった後も、日常は当然続く。だから、この芝居はいつまでたっても終わることはない。

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