習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

糾『きのめだち』

2008-10-27 22:06:28 | 演劇
 とてもストレートで、見ていて少し怯んでしまいそうになる作品だ。この生真面目さが作、演出を担当した芳埼洋子さんのよさだ、とも言える。

 象徴的なエピソードがざっくりと核心のみを突いてくる。父と息子、母と娘、さまざまな家族模様がこの芝居の中に挿入されていく。それをピン・ポイントで見せていく。

 8人の男女により繰り返される遊びから芝居は始まる。彼らが何なのか、最初はよくわからない。やがて彼らは森の中に大きな木を探しに行く。その道すがらクイズ遊びをする。答えは出ない。彼らのこのささやかな冒険の間に、前述の彼らの過去のエピソードが描かれていく。

 年老いた母と2人で切らす女性。家族から疎まれる父親。自分に対して構いすぎる母親に嫌悪感を抱く娘。アル中の父親を許せない息子。そんないくつものエピソードが、物語としてではなく、一瞬の風景として提示される。話自体はどこにでもある図式にきちんと収まる。だが、単純なモデルケースの羅列ではなく、ピン・ポイントで示すことで、それぞれの家族がおかれている局面があからさまに描かれる。実にスリリングだ。どこにでもあるありきたりな現実が、誰もが抱える深刻な問題としてここから素直に伝わる。

 親と子の確執をそれぞれの立場から描く。どちらかに偏ることはない。どちらにも寄り添って見せていく。ここに提示されるモデルケースがリアルなのは、抽象的なドラマの中での一断面としてのリアルさである。ストーリーの流れの中でこういうエピソードを見せられたなら閉口させられたはずだ。点描としてざっくり見せたのがよかった。上手い作り方だ。

 老人たちの姿へと収斂されていくラストも、とてもわかりやすくていい。親と子という図式の向こうに生と死を配して、死ぬことは生きることの中に含まれる、というとても素直で納得の行く結論を用意する。

 子供たちと親たちという対立項を終始チラつかせながら、それが「若かったはずの子供」も、やがて親となり、そして老いて行く、という大きなドラマの中に収斂されていく。この老人ホームに収容されている男女はそんな「かっての親」であり、「子供」でもある。

 真面目すぎるくらいに真面目で、それを気後れする観客を尻目に、テレたりしないで、全力投球する。それが見ていて気持ちがいい。抽象的なドラマが上手く機能したのもいい。

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