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映画・演劇のレビュー

A級MissingLink『あの六月の午後を忘れない』

2022-09-08 17:53:12 | 演劇

土橋さんがこんな芝居を作るんだ、と感心した。不思議な話なのに、不思議ではない。ただのあの日の思い出話、それでもいい、というスタンスなのだ。もちろん、それだけならこんな面倒な見せ方をすることはない。特別な1日。それはみんなにとっての、だったはずなのに、自分にとっての、(自分だけにとっての)になる。

このお話の主人公であるシェアハウスのオーナーを村山裕希が演じる。彼の動揺ぶりがすごくいい。気持ちを殺して自然体を装う。でも、バレバレの動揺。わかりやすい彼のそんな不自然さが素晴らしい。そこがわざとらしくなると、この芝居は失敗する。

彼はふだんはおとなしくて目立たないどこにでもいそうなふつうの男。いいひと。そんな彼を中心にして、あの頃、ここに住んでいた面々との「あの日」が描かれる。20年前の記憶の再現。日本対チュニジア。日本のワールドカップグループリーグ第3戦。TVの前でみんなで観戦する。これに勝てば日本は初めて決勝トーナメントに進むという運命の1戦だ。シェアハウスの面々がリビングに集う。だが、そこでオーナーは衝撃の告白に遭う。もうワールドカップなんて、そんなことどうでもいいと思う。茫然とするしかない。彼は心穏やかに試合なんか見ることはできない。だって、妻から離婚を宣言されたからだ。青天の霹靂としか言いようがない。この日を楽しみにしていたのに、サッカーどころではないこの日に変えられてしまった。

20年後、あの日を振り返る。日韓ワールドカップが開催された2002年6月14日。20年後のそこにやってきた女性。20年後のオーナーが迎える。あれから20年。世界はどうなったのか。理想の世界なんか実現しなかった今、あの日を振り返ることにどんな意味があるのか。あの日を起点にして、この芝居はそれを特別どうこうとかいうわけではない。あの日だってどうでもいい日なのだ。サッカー好きにとっては忘れられない日が、いや、サッカー好きだけではなく日本中が大騒ぎしたあの日。みんなの記憶に残る(はずの)日が記憶の中から失われたこと。特別の日が特別の日ではなくなり別の意味での特別になり、そこに集ったみんながなぜか、あの日の記憶をなくす。あのシェアハウスで過ごした時間。小説の中で描かれたあの日。失くしてしまったものがそこにはある。でも、あの小説は果たして真実なのか、わからない。作家志望だった女が書いた創作でしかないかもしれない。忘れてしまいたいものがある。だから、完全に忘れていた。20年後のオーナーと作家志望だったシェアハウスの住人の一人だった女性の再会から始まるこのお芝居が描くのは、ただの思い出ではないことは明らかだ。時代が過ぎて、過去は未来となる。未来となった今と向き合う瞬間が描かれる。


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