現代と過去(追憶)を交互で描き、自分と祖母の今とあの頃を通してこれからを描いていく。背景はコロナ禍、ブラック企業というよくあるパターン。
戦争とコロナを交互に描きそこからどこに辿り着くのか。全体のバランスが悪いからなんだか読んでいて落ち着かない。現在を生きる主人公の女性が亡くなった祖母と7日間電話でつながり,毎夜30分ほど話をする。祖母のことばを通して彼女は生きる力を取り戻す。コロナに罹ってひとり自宅で療養する時間。祖母の13回忌に帰郷するはずだったのに戻れない中、毎夜の電話を楽しみにする。
現実(現在)の彼女のドラマ以上に過去の祖母のお話に重きを置くのが不思議だった。明らかにバランスを欠く。戦時中から戦後の混乱、さらには実家を飛び出して生きる。結婚、出産、育児。祖母の79年の人生を辿るのは、この小説に必要なのか、と疑問に思いながら読んでいた。だけど、最後まで読んで理解する。
実はこの小説は100年前の関東大震災がスタート地点なのだ。祖母の親の世代から始まる。震災、戦争、パンデミック。この3つが繰り返されていく中で我々は生きている。正月の能登地震。未だ続くウクライナ、さらにはガザ地区の戦争。そして今なおコロナは収まらない。これはそんな時代を背景にしたドラマなのである。そしてこれは最初に思ったような単純なハートウォーミングではない。さらには主人公は紗菜ではなく、祖母の方だったのか、と気づく終盤は涙が溢れて止まらない。60代になった祖母が産まれたばかりの紗菜を抱き上げた瞬間の涙。理屈じゃない想いが溢れてくる。「生まれてきてくれてありがとう」ということばが胸に沁みる。
関東大震災から100年。さまざまなことがある。祖母は80年生きた。亡くなる1年前に13年後の紗菜と電話でつながって、いろんなことを話せた。つないでくれたのは祖母の母親である。このファミリーツリーに心温まる。見事に素敵なエピローグまで、目が離せない。