![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/19/c4b2def11edc28b42de30c50b0cecb86.jpg)
これはあまりにつら過ぎて読みながら何度となく息苦しくなる。それでも、読まずにはいられない。角田光代はこれまでも幾度となくこういうタイプの作品を書いているけど、今回が今まで一番怖いし、きつかった。それは、犯罪者を主人公にしたのではなく、どこにでもいる主婦をここまで追い詰めるところにある。犯罪を犯した者も、そうじゃないものも紙一重であることなんかわかっている。でも、これを読んでいると、子供を殺した母親以上に裁判員となり、彼女を裁く立場にたった同じように幼い子供を抱える主婦である主人公のほうが、罪深いのではないか、とすら、思えてくる。
育児ノイローゼなんて、誰にでもある。周囲が彼女を支えて、なんとか乗り越えていくものだ、なんて、誰にでも言える。だが、当事者にはそんな簡単なものではない。どれだけ夫が優しくても、どれだけ義母が支えてくれたとしても、どうしようもないものがある。悪意なんかではない。善意が悪意にすり替わる。被害妄想だなんて、言われたら、結局はおまえのせい、といわれているのと、同じ。『八日目の蝉』も『紙の月』もどうしてそんなことに、と思わせたが、今回は確かにそんなことに、と思わせる。それは当事者ではないから、という立場の相違だけではない。犯人と自分を重ねてしまう。自分はたまたま死なせてなかっただけ。でも、これから先、どうなるかなんてわからない。いや、自分は娘を愛している。でも、彼女だってそうだったのではないか。心神喪失だったかもしれない。確信犯であるわけはない。
幼い子供を抱える母親の心労は計り知れない。わが子はかわいい。そんなこと、わかっている。だが、いうことを気かず、泣き叫ぶ子供を怒りに駆られて、投げ出してしまいたいと思うことは誰にでもある。でも、誰も殺さない。一線を越えない。
だが、もし、一瞬でも、踏み外したとしたら。日常に潜む魔。それをこの小説は実に丁寧に掬い取る。裁判員に指名されて、幼い娘を義母に預けて毎日審理に向かう日々。そんな中でだんだん蝕まれていく。今までの自分の人生すら疑うことになる。幸せだったのか?
何も疑うことなく、今まで生きてきたことが根底から問い直される。たった10日間ほどの時間。だけど、そこには今まで考えもしなかったものが、生々しく横たわる。彼女は自分だ、と。
ここには答えはない。人事にはできない。誰もが抱える闇をあぶりだす。虐待ではない。ふつうの子育てだ。でも、それがとんでもないことにつながることもある。平凡な毎日に風穴を空ける。以前の無邪気な自分にはもう戻れない。というか、以前の自分は本当に無邪気だったのか? そんなわけない。