高橋恵さんの前作『野を焼く』のさりげなさがとてもよかった。田舎に引きこもった女性の数日間を追っていきながら、今ある状況をなんとかして変えて行こうとする人たちの静かな内面の闘いを描いていく作品だった。
今回もまた、前回の流れを組む作品になっている。大きなドラマはない。話の核には、兄の失踪という出来事があり、それがここに出てくる人たちに大きな影響を与えている。だが、表面的には夏の暑い中、縫いぐるみ作りに精を出す人形劇サークルの人たちの日常が静かに描かれていくだけである。
そんな彼女たちの日常がほんの少し動く。それがこの劇の唯一の物語らしい物語である。それは、はるな(守時由希子)の兄が見つかったという電話があり、彼に会いに行く、という行為である。彼の婚約者だった乃絵(松中清美)は怖くて会いにはいけない。(彼女もサークルのメンバーだ)兄に会い、帰ってきたはるなが、状況を話する。そこには、劇的な展開はない。あっけないほど元気にしていたという報告を受けて、そうか、と思う。ただそれだけだ。しかし、そんなやり取りの中にほんの少し心が揺らぐ。
不倫中のカップルの話も含めて、この芝居はドラマチックな展開を作るならいくらでもそういう要素を含み持っているにもかかわらず、実に巧みにそういう展開をさけていくように作られていく。高橋さんはわざとらしいお話をさりげなく避けていこうとする。人は自分に降りかかった事件を、ことさら劇的に受け止め自分をドラマに主人公に仕立て上げようとするが、本当はそんなドラマなんてないのだ、と言わんばかりに、彼女は僕達の日常にある出来事を何の感慨も与えずに見せていくのだ。そこに高橋さんの作劇に対する確かな拘りを感じる。
タイトルの「逃げ水」という美しい言葉に象徴させた「僕達の生活は、ありもしない蜃気楼を捜し求めることにしかない」というテーマがくっきりと浮かび上がってくる。この静かな芝居は、このとても力強いメッセージを確かなものとして提示していく。その先には何があるのか。それはまた、次の芝居で見せてくれることだろう。
今回もまた、前回の流れを組む作品になっている。大きなドラマはない。話の核には、兄の失踪という出来事があり、それがここに出てくる人たちに大きな影響を与えている。だが、表面的には夏の暑い中、縫いぐるみ作りに精を出す人形劇サークルの人たちの日常が静かに描かれていくだけである。
そんな彼女たちの日常がほんの少し動く。それがこの劇の唯一の物語らしい物語である。それは、はるな(守時由希子)の兄が見つかったという電話があり、彼に会いに行く、という行為である。彼の婚約者だった乃絵(松中清美)は怖くて会いにはいけない。(彼女もサークルのメンバーだ)兄に会い、帰ってきたはるなが、状況を話する。そこには、劇的な展開はない。あっけないほど元気にしていたという報告を受けて、そうか、と思う。ただそれだけだ。しかし、そんなやり取りの中にほんの少し心が揺らぐ。
不倫中のカップルの話も含めて、この芝居はドラマチックな展開を作るならいくらでもそういう要素を含み持っているにもかかわらず、実に巧みにそういう展開をさけていくように作られていく。高橋さんはわざとらしいお話をさりげなく避けていこうとする。人は自分に降りかかった事件を、ことさら劇的に受け止め自分をドラマに主人公に仕立て上げようとするが、本当はそんなドラマなんてないのだ、と言わんばかりに、彼女は僕達の日常にある出来事を何の感慨も与えずに見せていくのだ。そこに高橋さんの作劇に対する確かな拘りを感じる。
タイトルの「逃げ水」という美しい言葉に象徴させた「僕達の生活は、ありもしない蜃気楼を捜し求めることにしかない」というテーマがくっきりと浮かび上がってくる。この静かな芝居は、このとても力強いメッセージを確かなものとして提示していく。その先には何があるのか。それはまた、次の芝居で見せてくれることだろう。
この度は御来場頂き、本当にありがとうございました。
また、賛否両論別れた(戯曲はともかく、上演は否が多かったです。反省。)公演にもかかわらず、あたたかい批評をありがとうございました。
ごあいさつに書いたとおり、今回の書いた動機は「私は何故いまだに『演劇』をやっているのか」でした。
演出的にも劇団俳優の力量にしても、まだまだ課題が山積みの状態ですが、厳しい意見を真摯に受け止めて続けていこうと思います。
改めて、是非今後ともよろしくお願い申し上げます。
高橋拝