91歳、ジョージアの女性監督ラナ・ゴゴベリゼ。映画の主人公は監督自身(さらには彼女の両親だということを映画を見た後で資料から知る)を投影した79歳の女性作家エレネだ。映画は彼女が誕生日を迎えた日から始まる。
だが、誰も今日が彼女の誕生日だということを忘れている。憶えていない。これはまず、そんな孤独な老人の話だ。今の時代なら、どこにでもいるような歳をとって体の自由が、無理が効かない老人。
同居しているのは娘夫婦と孫娘。でも孫はその夫婦の子供ではなく姪っ子。(彼女の母親は現在アメリカに行っているらしい)祖母と同じくらい孤独な孫娘はおばあちゃんの誕生日祝いに絵を描いてくれるという。エレネは自宅のすぐそばの歩道を描いて欲しいという。足を悪くて杖を突いて移動する彼女はもう自宅から出ることも叶わない。昔その歩道でかつての恋人アルチルとダンスを踊った記憶がよみがえる。
誕生日の日、その恋人(彼も歩行困難で車椅子生活を送っている)から数十年ぶりに電話がかかってくる。
さらにはその日、娘から姑のミランダにアルツハイマーの症状が出始めたために彼女を引き取ると言われる。エレネは一緒に暮らすことを拒否する。ミランダは、ジョージアのソビエト時代に政府の高官だった女性でエレネと犬猿の仲だ。
実はこの映画、まずジョージアの歴史が背景にはある。ソビエトからの独立を勝ち取るまでの歴史とその後の出来事は直接は描かれてないが、そこを抜きにして語れない。だけど無教養な僕は知らなかったから、そこを抜きにしてこの映画を見ることになる。映画はやがて、この3人の老人お話になる。
彼女たちが暮らすアパートから映画は一歩も出ない。エレネは自室にいるか、ベランダから外を見るばかりの毎日だ。91分の小さな映画は静かに彼女の日々を綴る。頻繁に電話をしてくるアルチル。仕方なく同居するミランダ。そんなふたりとの交流を通して、エレネは今ある日々を受け入れていく。悲惨ではなく、穏やかな日々がそこにはある。91歳の今、彼女は27年振りに映画を撮った。激しい映画ではない。静かに、穏やかに、嵐の後の日々を描く。