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映画・演劇のレビュー

SとNの饗宴  スアシ倶楽部『素敵なあなた』 ニュートラル『夢かもしれない。』

2012-10-08 08:28:54 | 演劇
 2つの集団によるコラボレーション第2弾。前回以上にパワーアップした傑作。スアシ倶楽部もニュートラルもこういう繊細な作品をとてもうまく見せる。今回の空間(Cafe Slow Osaka )は前回以上に劇場仕様で、カフェ公演というよりも普通の小劇場公演に近い。

 でも、そんなことは、別にどうでもよい。どこでも、いつでも、完璧なものを作るのが、三好さんと大沢さんである。そんな彼らの仕事は信用できる。

 1本目は、スアシ倶楽部『素敵なあなた』。柳美里の短編小説を原作にして、こんなにも切なく爽やかなドラマを作れるなんて、驚きだ。三好さんに聞くと、原作はいつもの柳美里で、どろどろの愛憎劇だったらしい。さもありなん、である。それを誤読してしまって、こんな作品になりました、と彼女は言う。なんだか、いいなぁ、と思う。故意にねじ曲げるのではなく、なんとなく、そんなふうに読んでみたくて、という彼女のアプローチが、いい。作品を自分の世界のなかで昇華させちゃうんだ、と思う。とてもかわいい作品になった。キャスティングも見事だ。今回はテキスト片手のリーディングではなく、完全なお芝居にした。しかも、原作小説を脚色し、戯曲として再構成する。もちろんそんなのこれは演劇なのだから、当たり前なのだが、小空間を生かす様々なアプローチを試みてきた彼女だから、そんな当然のアプローチすら新鮮なものなる。

 30歳を目前にした女性の日常のスケッチである。高校を卒業してから11年間ずっとデパートの花屋で働く。毎日、職場と家の往復。職場でも家でも観葉植物に囲まれて、幸せそうだ。彼女はこの仕事が大好きなのだ。でも、なんだかほんの少しさびしい。閉店間際にすべり込んできて、でも、のんびり花を見る男。迷惑な男、と思う。だが、彼と言葉を交わすうちになんだかとても幸せな気分になる。家に帰り、いつもの日課をこなす。今日の日記を付ける。彼のことも書く。

 その彼を演じる白木原一仁さんがいい。彼女がひとりの部屋で、いるところのずっと寄り添い、彼女をみつめる。優しいまなざし。もちろん、それは現実ではない。しかも、彼の姿は彼女には見えていない。でも、僕たちには見える。そんな関係性が心地よいのだ。それはささやかな、このお芝居の仕掛けである。無言の彼のしぐさはパントマイムで培った多彩な表現で、彩られる。でも、彼は基本、何もしないでそこにいるだけなのである。『ゴーストNYの幻』のパトリック・スゥェイジもこれくらいにさりげなく演じてもらいたかった。そうすればあの映画ももっといい作品になったかもしれない。

 もちろんヒロインを演じた得田晃子さんがすばらしいのはいうまでもない。彼女がこんなにかわいい少女に見えたのは初めてだ。もちろんいつも彼女はチャーミングなのだが、今回は格別である。大人の女性を演じているのに、まるで少女みたいに(というか、少女のままで)かわいいのだ。それは彼女の孤独をきちんとみつめる作者の視線にぶれがないからであろう。もしかしたら、すべてが夢なのかもしれない。最初から彼なんかいないし、店にも来ていない。そんなふうにさえ思わせる。でも、それでも彼女はなんら不幸ではない。それどころか、なんだか幸せなのだ。こうして大好きな植物に囲まれて生活する。そんな日々をいとおしく思う。生きていく活力を与えられる、そんな短編である。


 2本目はニュートラルの中編『夢かもしれない。』。これもとてもよく出来た作品だ。最近では、イベントでの短編上演を重ねてきているが、こういう自主公演は前回のこの「SとNの饗宴」以来ではないか。大沢秋生さん渾身の最新作。とはいえ、50分の作品である。しかも、変に肩に力の入った大作ではない。いつものように少人数による静かな会話劇だ。気負うことなく自分の好きな世界を心行くまで楽しんでいる。

 女性を綺麗に見せることが、何よりも大好きな大沢さんだが、(時にそれはストーリーを語ることにすら優先する)今回は特別そこには留意しない。ヒロインの一瀬さんはとても普通にそこにいる。彼女をわざわざ綺麗に見せなくても、そのままで十分に美しいのは分かり切ったことなのだが、それにしても、今回は自然体過ぎるのだ。それは河上さんに対しても言えることだ。わざとそういうことには拘らない姿勢を見せる。それは大沢さんの心境の変化なのかもしれないし、作品世界を作り上げるうえで、そういうことはもう重要ではないと思い始めた話なのかもしれない。

 女は、富士の樹海で遭難していた男(森崎進)を助けて、自分のペンションに連れ帰り介抱する。男は記憶を失っている。彼女は彼の世話をしながら、自分自身も介抱していく。たったひとりで、心を閉ざして生きていた彼女は、彼を通してもう一度世界とつながろうとする。そこに、彼の妹がやってくる。彼はたったひとりの身寄りである彼女のことも、思いだせない。彼女の持参したアルバムを見ても、彼女の話を聞いても、記憶は戻らない。時が来てやがて妹は帰る。また、2人の日々が戻る。

 ラストの曖昧さがとてもいい。何が現実で何が空想であろうとも、もうどうでもいいや、と思う。ただここに自分がいて、彼がいる。やがて彼はここを去るかもしれないし、ずっととどまるかもしれない。でも、いつまでも、このままではない。いつまでも、こうして静かに時をやり過ごすことはできない。

 2本はまるで示し合わせたかのように、よく似ている。女2人と男ひとり。3角関係だ。そして、描かれる話がいずれも現実のようで、現実ではない。すべてが彼女の夢の中での出来事のようにも見える。今ある現実を受け止められずに、とどまる時間が描かれる。でも、やがてここから出ていかなくてはならないことを彼女自身が誰よりもよく知っている。三好さんの描く小さな世界は、日常をベースにしている。大沢さんの描く遠い世界は非日常をベースにしている。東京の街中と富士の麓。でも、彼女たちは、確かにそこで生きている。どちらも、ただの日常で、近い遠いは観客である僕等の視点でしかない。きっとこれはこの秋一番ロマンチックで寂しい。でも、なんだか元気になれる、そんな芝居ではないか。

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