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映画・演劇のレビュー

『死刑にいたる病』

2022-05-07 14:40:23 | 映画

白石和彌監督が、彼の存在を広く知らしめるきっかけとなった出世作『凶悪』に戻って手掛ける仕切り直しの作品。初心に戻ると同時にさらなる進化系を提示した。主人公は、空洞でしかない心を抱えたシリアルキラーの阿部サダヲと、彼に導かれて彼の犯罪を探り、やがては彼に操られていくことになる大学生岡田健史。ジョナサン・デミの『羊たちの沈黙』を思わせる。随所に描かれる刑務所での面会シーンが素晴らしい。ふたりが対峙し、視線を向けあい、戦わす。言葉以上のものがそこにはある。特にラストのふたりの対決が凄い。

いつものことだが、残酷シーンも容赦ない。爪を剥がすシーンではあまりに痛くて目を背けてしまった。だが、それが必ずしも不愉快ではない。ただただ恐ろしい。描かれることが映画内のフィクションではなく、ドキュメンタリーのように思える。だから、リアルすぎて何度となく目を背けることになる。これはトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』を初めて見た時のあの不快感と同じだ。

そんな映画史に残るホラー、ミステリーを引き合いに出すほどにこの映画は強烈なインパクトを残す。2時間9分、緊張が持続する。そして阿部サダヲの心が見えないまま、映画は終わる。そこがいささかもの足りない気もしないではない。でも、これは明らかに確信犯だ。白石監督は安易な説明を避けた。彼に取り込まれた岡田健史は、正義と真実を求めるはずが同じ闇を抱えた犯罪者になっていく。どうしてこんなことになるのか、ではなく、こんなことがあり得るという衝撃。ラストの「それはないやろ、」というどんでん返しまで、見ていて、この不快は深い。

ふたりのリアルに対して、その周辺の人物描写に関しては、あざとい描写や、リアルではない描写ばかりだ。それは岩田剛典や中山美穂だけではなく、どの人物もそうなのだ。でも、それがすべて阿部サダヲに導かれたものだと思うと、意外ではなく、仕方ないとも思える。彼は無邪気に人々の心の中に入り込み、彼らの心をかき乱す。誘導するのではなく、気づけば取り込まれている。それは優しい声かけから始まる。信じてしまう。おぞましい殺しのシーンでも、同じだ。今殺されている恐怖の中にあるにも関わらず、である。それはリアルではない。でも、この悪夢受け入れる。なんでもありだ、と思う。それほどこの男の存在はリアルなのだ。


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