習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

sunday『サンプリングデイ』

2010-07-29 22:04:33 | 演劇
 とてもおもしろい発想の芝居(というか、パフォーマンス)だと思う。テンポよくいくつものエピソードをコラージュさせる。10から20くらいのエピソードをバラバラにして、組み合わせる。繰り返しを多用してリズムを作る。マイクと肉声を併用し変化をつける。ひとつひとつのエピソードはウォーリー木下さんが日々の生活の中でサンプリングしてきたどうでもいいようなお話(あるいはお話以下のもの)で、そこには明確なストーリーがあるわけではない。街で見かけた見知らぬ人のやりとりや、仕事場でのたわいないスケッチ、自分が思ったり、感じたりしたこと、それらがそのままの形で提示される。するとそれらは混沌として、不思議な世界を作り上げる。

 だけど、芝居として核になるものがないから、だんだん単調すぎておもしろいのに、眠くなる。繰り返しの多用は確かにリズミカルだが、そのうちそれにもだんだん飽きてくる。それぞれのエピソードのくだらなさ(僕等の日常って、ほとんどこんなものだが)にクスッと笑えて、それはそれでいいのだが、所詮それだけだ。

 5人のパフォーマーは、すごい勢いで舞台上を右往左往して大忙しなのだが、その熱演は実を結ばない。ではこれは徒労なのか、というと必ずしもそうではない。このたわいない事の連鎖が一つの世界を作り上げていく。「人は6人たどると、必ずどこかで繋がっている」なんていうセリフがあったけど、こういう同時多発的演劇は全く関係を持たないように見えるこの世界のかたすみでのいくつもの出来事がどこかでつながっていて、この小さなお話が、大きな世界(世間、世の中)を形成していることに気づかされる。すべてを包みこむ優しさがこの作品の底辺にはある。そんなウォーリーさんの世界観はとても好きだ。シビアな現実と向き合いながら世界を突き放すのではなく、受け入れていく。

 描かれるエピソードの数々がきちんと円環を作り上げていく。最初のシーンと最後のシーンがつながってこのドラマは延々と繰り返されていくのである。1日の出来事である。どこにでもあるありきたりな何の変化もないたわいない日常。それをマイクと肉声を使い分け、いくつもの小道具(それらはこんなにもいらないくらいに舞台上に所狭しと並べられる)を使いまくって、5人の男女が数限りない役を何度と無く演じていきながら見せていく。オチのない細切れのエピソードがコラージュされたその先にある「何か」が、もう少しクリアに見えてきたならこれはかなりの傑作になったかもしれない。


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