1986年から87年SWITCHに連載されたこの文章が、20年の歳月を経て1冊の本となって甦る。あの時、細切れに読んだものをもう一度、順を追って一気に読んで見て、まず、感じたことは、沢木さんの変わる事のない誠実さである。『深夜特急』『馬車は走る』の仕上げから、『キャパ』の翻訳への着手、さらには蜂を追っての旅、という沢木さんにとって明らかに節目となる30代最後の1年間を背景に、熱っぽく語られる様々な出来事の一つ一つに心奪われていく。彼の<出来上がった仕事>ではなく、<出来上がる前の仕事>のことが、ここには描かれる。そして、僕たちはやり遂げたことよりも、やり遂げることが出来なかったことの積み重ねの上で、今をこうして生きているということに気付かされる。
それにしても沢木さんは何をしても沢木さんだ、と改めて感心させられた。毎日毎日を丁寧に生き、自分の仕事のために、全力を投入していく姿は、彼のノンフィクションを中心とする全ての作品と同じだ。人と接する時もそう。沢木耕太郎はどこをどう切っても、全身沢木耕太郎である、という当たり前の事実に、今更ながら感動させられた。
『246』の中で描かれる日々のように、沢木さんは今も同じように毎日を全力疾走されている。同じ時間を生きながら、僕は沢木さんのように生きているかと思うと、こんなことじゃダメだ、という想いを新たにする。自分と、自分の身の回りのことに興味を持ち、何事に対しても、つまらない優劣をつけたり、権威を振りかざしたりすることなく、自分の心のままに生きているような自在さが、素敵だ。
この20年前の日記風エッセイを読みながら、いつの時代、いかなる場所でも同じスタイルの自分らしさを貫いている沢木さんの姿勢は刺激的だった。初めて『敗れざる者たち』を読んだ20歳くらいの頃、そして『路上の視野』を読み終えた時の深い共感。あれから四半世紀が過ぎていったのに、全く変わることのない沢木さんの生き様に触れ、僕にもまた、新鮮な気持ちが戻ってきたのが嬉しい。
それにしても沢木さんは何をしても沢木さんだ、と改めて感心させられた。毎日毎日を丁寧に生き、自分の仕事のために、全力を投入していく姿は、彼のノンフィクションを中心とする全ての作品と同じだ。人と接する時もそう。沢木耕太郎はどこをどう切っても、全身沢木耕太郎である、という当たり前の事実に、今更ながら感動させられた。
『246』の中で描かれる日々のように、沢木さんは今も同じように毎日を全力疾走されている。同じ時間を生きながら、僕は沢木さんのように生きているかと思うと、こんなことじゃダメだ、という想いを新たにする。自分と、自分の身の回りのことに興味を持ち、何事に対しても、つまらない優劣をつけたり、権威を振りかざしたりすることなく、自分の心のままに生きているような自在さが、素敵だ。
この20年前の日記風エッセイを読みながら、いつの時代、いかなる場所でも同じスタイルの自分らしさを貫いている沢木さんの姿勢は刺激的だった。初めて『敗れざる者たち』を読んだ20歳くらいの頃、そして『路上の視野』を読み終えた時の深い共感。あれから四半世紀が過ぎていったのに、全く変わることのない沢木さんの生き様に触れ、僕にもまた、新鮮な気持ちが戻ってきたのが嬉しい。