実験的な作品を提示する「エクスペリメンタル・パフォーマンス」シリーズの新作。毎年3・10に上演している『Home』の流れを汲むが、今回は直接震災に触れてはいない。だが、もちろん、この時期に上演するのが目的であり、パンフには「東日本大震災後に被災地から遠く離れた場所で暮らす人たちが行き交う都市のある駅を中心にした物語」とある。
13人の役者による13の短いほんの一瞬の物語。ほとんどが電車の車内でのお話で、ホームや、駅、バス停や、鴨川が舞台の作品もあるけど、それらはほとんど同じだ。京阪電車を中心にした。明確に限定しないけど駅は三条、四条であろう。もちろん、そんなことは些細なことで、これを「京都」と明言する必要もない。どこでも、構わない。
モノローグ(スマホで録音された音声)の間、彼らは動きを止めている。そこに、ライトが当たる。目の前の光景への言及。今の気持ちを語る内面の声。13本のエピソードはバラバラだ。全体が1本の作品として構成されているわけではない。独立したひとつひとつのモノローグドラマを、動きを禁じた状態で見せる。
彼らはみんな今はひとりで、たくさんの人たちの中にいる。電車の中というのは、不思議な空間だ。みんなが同じ場所へと運ばれていく。だが、ひとりひとりは見知らぬ他人だ。これはそんな場所での、秘められた心の声であり、ただのつぶやきなのだが、それが積み重なったとき、不思議な想いを提示する。誰もがいろんなことを考え、感じて、そこにいる。描かれる内容は様々だ。たわいもなく、実にどうでもいいようなことから、自分の人生って何なのか、と語る重いエピソードまで。そんなひとつひとつの当たり前の事実がなぜだか、こんなにも新鮮なのだ。(モノローグは当然演じる役者がアドリブで語ったものだ。台本があるわけではない。)
全部で70分ほどのこの光景は、都市で生きる人たちの孤独な心情を代弁する。笠井さんは、13のエピソードを構成し、流れるようなタッチで提示していく。実に心地よく伝わる。
彼らと同じように帰りも京阪電車にひとりで乗った。鴨川も少し歩いた。なんてことのない時間が愛おしい。そんな気分にさせられた。確かにこれは『Home』からつながる作品だと思った。