AIが人間の姿になってやってくるというバカバカしい設定なのだが、それでは結果的にただのレプリカントじゃないか、と思う。一応彼女はホログラムみたいなもので、実態はない、ということにしているけど、芝居だから役者が演じます。なんだか、デジタルな芝居を目指したはずが、とんでもなくアナログな、アナクロ芝居で、おやおや、と思う。でも、そこがこの芝居のねらいだ。とことん、バカをする。
タイトルは70年代の純愛マンガである『愛と誠』のパロディである。そんなところからして、なんだかなぁ、と思う。この脱力感はお話にも及ぶ。この設定でこのお話はないわぁ、と思う。未来の話のはすが、とことん過去のテイストで、アナクロ。それが作り手の意図なのだろう。
ただ、そんな設定のバカバカしさを、作者はどこか微妙にセーブしているような気がして、なんだかもどかしい。もっと突き抜けた笑いを提示して欲しかった。なのに、そうはならない。さらには映画『her 世界でひとつの彼女』のような芝居なのか、と思ったら、そうじゃない。劇団のお話に終始する。ラブストーリーにしたら作品世界が広がるけどそうはしない。なぜだ?
AIが芝居の台本を作るのがあたりまえになった時代、それでも人間が台本を書くことの意味とか、そういうのを突き詰めて描くとそれはそれで面白いのに、それもしない。しかもお話自体の作りは緩い。台本を書けなくて苦しむ劇作家の苦悩なんて、SFじゃない。要するに作り手はわざとこういうスタイルを最後まで貫くのだが、そこが作品世界を狭くしてしまうのがなんだか辛い。この老舗劇団ならではの頑固さが魅力になったらいいのに、そうもならない。いろんな意味でなんとも中途半端なのだ。しかも、わざとそういうのをねらってる感じ。
ただ、ラストはちょっとシビアで切ない。人間はソフト面でもコンピュータに負ける。そんな時代が来る。それは人間の思考がコンピュータに歩み寄ることで生じる。では、これから人間はどうなってしまうのか。せめてそんなことにまでお話を広げてもよかったのではないか、なんて考える。いろんな可能税を秘めたお話のはずなのに、これではなんだかもったいないと思うのだ。