『上の句』を見てからもう2カ月になる。ようやく『下の句』を見た。2部作の常として1作目がよくできた作品であればあるだけ2作目が残念なものになる確率が高いというジンクス通り、今回の作品も、前半、もたもたして『上の句』の感動が損なわれるような展開だ。
何かを成し遂げた後はいつもそうなる。迷いが生じる。もっと高みを目指さなくてはならないというプレッシャー。でも、力が及ばないという現実。そのはざまで苦しむ。人間はそう急に成長なんかしない。少しずつ、頑張ると気がつけば強くなっていることもある、という程度だ。なのに、東京都予選で優勝して全国大会に出場することになった千早(広瀬すず)は、さらなる高みを目指す。クィーンに勝ちたいという目の前の大きすぎる目標に振り回されて、周囲が見えなくなる。
こういうストーリーをわざわざここに書くには、そこに描かれる出来事がすべてに及ぶからだ。この映画自体がそうなのだ。小泉監督以下スタッフ、キャストは『上の句』で達成したレベルで満足するわけにはいかない。もっと先を求める貪欲なお客さん(僕とか)の期待に応えなくてはならない。もちろん、自分たち自身もあれで満足するわけにはいかないからだ。今回は最初から2部作仕立てで、2本同時撮影だったから、休む間もなくの連続作業だっただろうから、インターバルはほぼないはずだけど、それでも、区切りはあったはず。台本も2本とも先に出来ていたし、一部が前後して撮影したかもしれない。それでも、さぁ、『下の句』のスタートだ、と気を引き締め後半戦に挑んだことだろう。
だから、これはきっと確信犯的行為だ。千早が、理想と現実のはざまで苦しみ周りが見えなくなるという台本を用意した。僕たちはそんなシーンを見ながら、イライラさせられる。だから、後半、俄然面白くなる。もうこれはパターンで、見事その術中に乗せられた。自分たちはひとりではない。チームとして戦っていることに意味がある。たとえ離れていても、自分たちはひとつだと信じられる。そのとき、生きているという実感が得られる。力が漲ってくる。ひとりじゃない、と思えることの大切さ。全国で戦うシーンを敢えてほとんど見せないクライマックスもすばらしい。千早は倒れてしまい、団体戦に出場できない。ひとりメンバーを欠いた状態で戦うことになる。
戦いを終えて帰ってきたメンバーの清々しい顔を見せるシーンが素敵だ。そして仕切り直した翌日、個人戦。ここもさらりと見せていく。おいおい、これで終わりか、と思わせるのも素晴らしい。エンディングでクィ-ン戦をさりげなく見せるのもいい。この映画が目指す地平が明白になる。スポーツ(敢えてそう言おう!)ものの定石を踏まえ、でも、高校生のクラブ活動はこうあるべきだ、と言う。勝つことだけがすべてではない。この時間をみんなとともに、全力で戦うのだ。だだ、それだけ。この映画が感動的なのは、そういう普遍性に到達するところにある。競技かるたなんていうマイナーな素材を扱いながら、ここにはすべてに通じるドラマがある。
「2部作もの」の陥る落とし穴を見事クリアして、感動の2部作として完結し、その先に向けてドラマを広げた。この後、第3部完結編がすぐに作られるらしいが、きっとこのチームなら予想もしないその先のドラマを提示してくれることだろう。誰もが見たこともない未来へ。