今回の短編集の総合タイトルとなった『蛇口からアイスクリーム』というシュールなイメージがとてもいい。今のサリngさんの気分をとてもよく伝える。ミスマッチをねらったわけではない。とても自然な取り合わせだ。でも、この違和感。楽しそうで、不気味。甘くてドロドロしたアイスクリームを手でつかむような感触。ねばついて、気持ちはよくない。この作品集をとてもよく象徴している。本公演のベースとなる『絶対の村上ちゃん』(もう1本の『絶対の村上くん』も、だが)は、そんな一面をとても自然に表現してある。この気分が今のサリngさんの創作の原点である。
蔵本真見が演じる村上ちゃんの頑なさには無理がない。最初に決めたことは、絶対変えない。そこには、ためらいとか、迷いはない。絶対、なのである。そんな彼女と向き合うユキエ(西分綾香)は、ふつうの女の子で、彼女の中学生から、高校生、やがてOLになり、子どもを産む、という人生の顛末が描かれる。最初は天才少女、でも、どんどん変わっていき、平凡な女になっていく。変わらない村上ちゃんと、当たり前に成長していく(ふつうになっていく)ユキエとの対比。2人の関係は一見ありきたりなものに見えるけれども、これはそんな単純なものではない。
もちろん1人の女性の中の二面性を表すとか、そんなことは一切言わない。同じ方向を向いて、一緒に同じように生きてきたはずの2人は、パラレルな存在として、どこまでいっても交わることはない。その絶望的な距離感をサリngさんは、悲しむことも、あきらめることもなく、ただ冷静にみつめていく。この作品は、『絶対の村上くん』として数年前にも見ているのだが、今回の女性版がすばらしい。(今回、先にも書いたが、男性版も再演させている)今の彼女のスタンスは以前の彼女のものとは、全く違う。それは、いいとか、わるいとか、そういう問題ではない。このひとつの頑なな自己のあり方が、彼女の目指す方向性と一体化することで、僕たちが、(そして、彼女も)見たことのない世界を切り開いてくれることは、確実だろう。今回の作品の先に広がっているものを、早く見てみたい。それが、次回作である『夏の残骸』なのだ。そこで、僕らは何を見るのだろうか。今から、ドキドキしている。
さて、その前にもう一度、今回の作品に戻る。
今回の2本は、とてもおもしろい。1年半振りの突劇金魚は、今までのパステルカラーのイメージを一新して、ダーク・ファンタジーになっていた。というか、今までもそんな作品だったけど、今まではそれをほんの少しテレて隠すようにして見せていただけだ。本質は全く変わらない。そんな兆候は前作『巨大シアワセ獣のホネ』にもちゃんとあったのだが、外部への書き下ろし作品である『楽園!』を経て、サリngさんは、もう及び腰にはならないのだ。自分の作品観に対して素直に向き合えるようになったのではないか。今回の『夏の残骸』は今後の方向性を指し示す。とはいえ、必要以上にグロテスクにはしない。理屈ではなく、感覚を優先するのも、従来の彼女と同じだ。
ごみ屋敷と化したアパートの一室に、強盗に殺された恋人の死体をそのままにして、それだけではなく、彼を解体し、食べる女が、主人公だ。恋人が殺されたのに、警察には言わない。だって、警察を呼んだりしたら、彼と引き離されるからだ。腐っていく彼を食べることで、彼と一体化して、もう一度自分の体から彼を出産しようとする。もちろん、そんなこと不可能で、狂っている。大体彼女の語る話のどこまでが本当のことなのかもよくはわからない。
狂気に至ったこの女を肯定も否定もしないで冷静にみつめていく。この作品の、主人公へのこの距離のとり方がすばらしい。絶妙の距離感で、この女が向き合う現実を見せてくれる。強盗に入った男(恋人を殺したらしい男ではない)とのやりとりを通して、どこまでが現実でどこからが、妄想なのかよく、わからない狂気の世界を見せる。この作品が、今年10月の本公演として、長編にして、上演されるのだ。そこで、本当の新しくなった突劇金魚と出会える。
本当は今日見る予定ではなかった『絶対の村上くん』と『しまうまの毛』も、続けて見てしまった。ということで、次回は、その2本の話から書く。
蔵本真見が演じる村上ちゃんの頑なさには無理がない。最初に決めたことは、絶対変えない。そこには、ためらいとか、迷いはない。絶対、なのである。そんな彼女と向き合うユキエ(西分綾香)は、ふつうの女の子で、彼女の中学生から、高校生、やがてOLになり、子どもを産む、という人生の顛末が描かれる。最初は天才少女、でも、どんどん変わっていき、平凡な女になっていく。変わらない村上ちゃんと、当たり前に成長していく(ふつうになっていく)ユキエとの対比。2人の関係は一見ありきたりなものに見えるけれども、これはそんな単純なものではない。
もちろん1人の女性の中の二面性を表すとか、そんなことは一切言わない。同じ方向を向いて、一緒に同じように生きてきたはずの2人は、パラレルな存在として、どこまでいっても交わることはない。その絶望的な距離感をサリngさんは、悲しむことも、あきらめることもなく、ただ冷静にみつめていく。この作品は、『絶対の村上くん』として数年前にも見ているのだが、今回の女性版がすばらしい。(今回、先にも書いたが、男性版も再演させている)今の彼女のスタンスは以前の彼女のものとは、全く違う。それは、いいとか、わるいとか、そういう問題ではない。このひとつの頑なな自己のあり方が、彼女の目指す方向性と一体化することで、僕たちが、(そして、彼女も)見たことのない世界を切り開いてくれることは、確実だろう。今回の作品の先に広がっているものを、早く見てみたい。それが、次回作である『夏の残骸』なのだ。そこで、僕らは何を見るのだろうか。今から、ドキドキしている。
さて、その前にもう一度、今回の作品に戻る。
今回の2本は、とてもおもしろい。1年半振りの突劇金魚は、今までのパステルカラーのイメージを一新して、ダーク・ファンタジーになっていた。というか、今までもそんな作品だったけど、今まではそれをほんの少しテレて隠すようにして見せていただけだ。本質は全く変わらない。そんな兆候は前作『巨大シアワセ獣のホネ』にもちゃんとあったのだが、外部への書き下ろし作品である『楽園!』を経て、サリngさんは、もう及び腰にはならないのだ。自分の作品観に対して素直に向き合えるようになったのではないか。今回の『夏の残骸』は今後の方向性を指し示す。とはいえ、必要以上にグロテスクにはしない。理屈ではなく、感覚を優先するのも、従来の彼女と同じだ。
ごみ屋敷と化したアパートの一室に、強盗に殺された恋人の死体をそのままにして、それだけではなく、彼を解体し、食べる女が、主人公だ。恋人が殺されたのに、警察には言わない。だって、警察を呼んだりしたら、彼と引き離されるからだ。腐っていく彼を食べることで、彼と一体化して、もう一度自分の体から彼を出産しようとする。もちろん、そんなこと不可能で、狂っている。大体彼女の語る話のどこまでが本当のことなのかもよくはわからない。
狂気に至ったこの女を肯定も否定もしないで冷静にみつめていく。この作品の、主人公へのこの距離のとり方がすばらしい。絶妙の距離感で、この女が向き合う現実を見せてくれる。強盗に入った男(恋人を殺したらしい男ではない)とのやりとりを通して、どこまでが現実でどこからが、妄想なのかよく、わからない狂気の世界を見せる。この作品が、今年10月の本公演として、長編にして、上演されるのだ。そこで、本当の新しくなった突劇金魚と出会える。
本当は今日見る予定ではなかった『絶対の村上くん』と『しまうまの毛』も、続けて見てしまった。ということで、次回は、その2本の話から書く。