作詞家が映画を作るというのは、写真家が映画を作るときと同じような感じで、映像としては美しいけど、ドラマを作り上げる力が生じない、ということになるのか。作詞家の阿木耀子監督作品。
生活のスケッチなので劇的な展開も映像としてのダイナミズムも期待しないけど。それにしても、個々のシーンはとても綺麗に撮られているのだが、それ以上のものが全く感じられないのはどうなんだろうか。俵万智の短歌をモチーフにして、タイトルはストレートに『短歌』である。歌というものが、もっと前面に出てくるのかと期待したが、シーン、シーンの間に挟みこまれる短歌に映画全体をまとめ上げる力がなく、言葉と映像の共演にはならない。『伊勢物語』のような美しい<歌物語>を期待したのだがまるでそうならない。
俵と阿木というこの2人がコンビを組んだらきっと現代の歌物語を映画化してくれるはずだと、最初はドキドキしながら見たのだ。短いエピソードがそれぞれ独立しながらひとりの女の恋愛模様をアラベスクのように見せてくれるのではないかと勝手に夢想してたのに。がっかりだ。
2人の男と恋愛すること。女ともだちとのランチ。仕事場、家での様子。そして、ラストでは思いがけない形での妊娠。恋愛、仕事、セックス、といった日々を通して、一つの理想的な女の生き方を見せる作品になっていたらよかったのに。それを短歌と絡ませ見せてくれたら面白かったはずだ。 と、
ここまで書いていやになった。以下は最初に書いていた原稿。没にしたけど、ついでに復活させる。
今回は映画の内容は実はどうでもいい。それよりもこれが東映系で公開されたことの方が気になった。
まず、こんなタイトルの映画が作られるなんてことが不思議だ。一体何をセールスポイントにしてるのだろうか?誰に向けて作られた映画なのかもよく分からない。30代の女性層をターゲットにしたというのなら、無理がある。彼女たちはこういう映画に来ない。製作者はそんなことも分からないで作ったのか。(お金がもったいない。)
それにしても、東映系で単館公開というのは珍しい。しかも1日に2、3回しか上映しないという変則公開である。一体東映に何が起きてるのか。
俵万智原作の短歌集の映画化ということには少し興味を持つ。昔『サラダ記念日』が出た時の驚きは今でも鮮明だ。こんな風に短歌を作っていいんだ、と感動させられた。まぁ僕だけではなく、あの時は誰もがそう思ったからあれだけの大ベストセラーになったのだが。でも、今更映画化なんて。それにしても今、こんな形で短歌を使い、30代の女性の気持ちを描くことにどんな意味があるのか。
仕事が出来て独身を謳歌する33歳の女性編集者であり、花形ライターが主人公だ。彼女の恋愛が描かれる。妻帯者のカメラマンと不倫しながら、若いミュージシャンの卵とも付き合う彼女の日々が描かれる。そして、折々の気持ちが短歌として描かれる。思った通りのまるで今の息吹の感じられない映画だった。
ラストで妊娠したヒロインは自分ひとりでその子を育てるようだ。意気揚々と出社する姿が描かれる。何がしたいのやら?絵空事の設定とわざとらしいストーリー展開。これでは黒谷友香が可哀想だ。
東映の企画の貧困さは目を覆うばかりである。もう、ブロックブッキングなんて崩壊したのにまだ番線を埋めるために、無理矢理映画を作り続けるなんて、ナンセンスである。こういう無意味な映画を濫発するくらいなら、製作をやめるか、松竹のように、不定期に製作するほうがいい。東宝は一応番線に乗せているが、もうどれが東宝邦画系なのか分からない状態になっている。それくらいに日本映画の数が増えてるのだ。そして、ヒットしている。時代から完全に取り残されてそれでも穴埋め映画を作り惨敗続ける東映映画に未来はあるのか?一映画ファンとして実は気になる。
何を書いてるやら、ホントにバカバカしい。一応公開するけど(2時間もかけたんだから)書いてて情けなくなった。
生活のスケッチなので劇的な展開も映像としてのダイナミズムも期待しないけど。それにしても、個々のシーンはとても綺麗に撮られているのだが、それ以上のものが全く感じられないのはどうなんだろうか。俵万智の短歌をモチーフにして、タイトルはストレートに『短歌』である。歌というものが、もっと前面に出てくるのかと期待したが、シーン、シーンの間に挟みこまれる短歌に映画全体をまとめ上げる力がなく、言葉と映像の共演にはならない。『伊勢物語』のような美しい<歌物語>を期待したのだがまるでそうならない。
俵と阿木というこの2人がコンビを組んだらきっと現代の歌物語を映画化してくれるはずだと、最初はドキドキしながら見たのだ。短いエピソードがそれぞれ独立しながらひとりの女の恋愛模様をアラベスクのように見せてくれるのではないかと勝手に夢想してたのに。がっかりだ。
2人の男と恋愛すること。女ともだちとのランチ。仕事場、家での様子。そして、ラストでは思いがけない形での妊娠。恋愛、仕事、セックス、といった日々を通して、一つの理想的な女の生き方を見せる作品になっていたらよかったのに。それを短歌と絡ませ見せてくれたら面白かったはずだ。 と、
ここまで書いていやになった。以下は最初に書いていた原稿。没にしたけど、ついでに復活させる。
今回は映画の内容は実はどうでもいい。それよりもこれが東映系で公開されたことの方が気になった。
まず、こんなタイトルの映画が作られるなんてことが不思議だ。一体何をセールスポイントにしてるのだろうか?誰に向けて作られた映画なのかもよく分からない。30代の女性層をターゲットにしたというのなら、無理がある。彼女たちはこういう映画に来ない。製作者はそんなことも分からないで作ったのか。(お金がもったいない。)
それにしても、東映系で単館公開というのは珍しい。しかも1日に2、3回しか上映しないという変則公開である。一体東映に何が起きてるのか。
俵万智原作の短歌集の映画化ということには少し興味を持つ。昔『サラダ記念日』が出た時の驚きは今でも鮮明だ。こんな風に短歌を作っていいんだ、と感動させられた。まぁ僕だけではなく、あの時は誰もがそう思ったからあれだけの大ベストセラーになったのだが。でも、今更映画化なんて。それにしても今、こんな形で短歌を使い、30代の女性の気持ちを描くことにどんな意味があるのか。
仕事が出来て独身を謳歌する33歳の女性編集者であり、花形ライターが主人公だ。彼女の恋愛が描かれる。妻帯者のカメラマンと不倫しながら、若いミュージシャンの卵とも付き合う彼女の日々が描かれる。そして、折々の気持ちが短歌として描かれる。思った通りのまるで今の息吹の感じられない映画だった。
ラストで妊娠したヒロインは自分ひとりでその子を育てるようだ。意気揚々と出社する姿が描かれる。何がしたいのやら?絵空事の設定とわざとらしいストーリー展開。これでは黒谷友香が可哀想だ。
東映の企画の貧困さは目を覆うばかりである。もう、ブロックブッキングなんて崩壊したのにまだ番線を埋めるために、無理矢理映画を作り続けるなんて、ナンセンスである。こういう無意味な映画を濫発するくらいなら、製作をやめるか、松竹のように、不定期に製作するほうがいい。東宝は一応番線に乗せているが、もうどれが東宝邦画系なのか分からない状態になっている。それくらいに日本映画の数が増えてるのだ。そして、ヒットしている。時代から完全に取り残されてそれでも穴埋め映画を作り惨敗続ける東映映画に未来はあるのか?一映画ファンとして実は気になる。
何を書いてるやら、ホントにバカバカしい。一応公開するけど(2時間もかけたんだから)書いてて情けなくなった。