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映画・演劇のレビュー

堺東高校『ビー玉たちの夜』

2018-07-28 21:10:18 | 演劇

ビルのエレベーター。8階から地上階へと降りていく途中7階付近で止まってしまったようだ。閉じ込められた6人の男女。さぁ、どうなる、というこれも一見するとよくあるパターンになりそうな作品なのだが、実に上手い。リアルじゃないのは、確信犯。これは現実ではなくファンタジーだからだ。でも、ファンタジーに逃げたのではない。最初は、それはないだろ、と突っ込みを入れながら見ていたのだが、そこが作り手の意図だと気づくと、やられたな、と思わされる。そこまでお話がどこに転ぶのかわからないのだ。それはサスペンスの持続がちゃんと出来ているということだ。

 

エレベーターが止まってしまったにもかかわらず、誰もパニックにはならない。しかも、なかなか外部と連絡が取れないのに動じない。嘘くさいぞ、と思うのだが、その堂々としてタッチに振り切られる。暇だから自己紹介から始めましょう、なんて言い出してそれぞれが自分を語り出すのだ。おいおい、と思いつつも、だんだん引き込まれていく。

 

終盤、エレベーターが動き出すのだが、1階へ向かうのではなく、反対である屋上階に向かう。エレベーターが開くとそこは広々とした屋上で、夜空が広がる。その開放感がいい。初めてこのビルの屋上に出た彼らは都会の夜を見下ろしながら、自分たちが何を思い、何をしているのかを改めて語り合う。ここに至ってこれがファンタジーであることが明確になる。閉ざされた空間から解放されたとき、自分たちが何に囚われていたのかを知る。

 

お話の細部がしっかりしているから、緊張感が持続するのだ。お互いの名前をあだ名で呼び合うことで、ある種の一般論にする。だから、話しやすい。なのに、それは彼らの今抱える傷みだから、決して表面的な話ではない。パターン化した設定の中にも真実が散りばめられてある。

 

自分たちはA玉になりたかったB玉にすぎない、という認識。ビー玉は「B」なので2級品の玉でしかない。だけど、その事実は決して嫌なことではない。B玉は決して悪くはない。みんな子どもの頃、ビー玉で遊んだことがある。記憶の中のビー玉は輝いている。ビー玉は愛すべき存在なのだ。誰もが夢を持ち、ここまで生きてきた。そしてその延長線上に今がある。夢破れて虚しい人生を生きている、というわけではない。

 

この芝居は、日常の裂け目を丁寧に切り取り、一瞬のファンタジーとして提示した。こんなにもしっかりと、人の営みに愛しい目を向け、生きていることの大切さを描く作品を作り上げたこのチームは凄い。それなりの長さである75分間が、あっという間のできごとだった。大人でもなかなかここまで上手くは語れまい。ハートウォーミングはどうしても上から目線になりがちだが、この芝居の目線の低さ(というか、適切さ)は素晴らしい。等身大で生活者を描けている。見事だ。

 


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