9年前に上演された作品を再演する。だから、この芝居の描く時代は、2006年を現代にする。そんなところまでなんだか真面目で、凄い。まず言いたいのはこの芝居があまりに真面目すぎて、堅いということなのだ。融通が利かない。頑な過ぎて、見ていて息苦しい。息が詰まる。でも、そこがこの作品の魅力でもある。
昭和10年代、やがて戦争に突入する直前から戦争が終わる直前までが描かれる。旧家の嫁を主人公にして、彼女の生きた日々を描く。家に縛られて、家に従うことで、自分を抑えつけて生きた日々。戦争によって夫を奪われ、家の重圧のもと、生まれたばかりの乳飲み子を抱え生きる。
南方で死んだ夫は「箱の中の小石」となって戻って来る。家の犠牲になり、それでも家を守り、生まれてきた子供を育て、夫の両親に仕え、彼らを看取り、やがて死んでいく。彼女を支えたものは何だったのか。ひたすら耐え忍んで、生きた若かりし日のスケッチだ。
彼女にとって生きることって何だったのか。苦しいことばかりの日々。でも、そんな人生を否定するのではない。芝居は静かにありのままに、彼女を見つめていく。主人公を演じる鶴留真由さんが素晴らしい。何も言わない。そんな無言の中から、この芝居は、やがて彼女の生き方を肯定していく。
並行して描かれる現代の描写の中でも彼女は苦しんでいる。重い病の床にあり、もうすぐ死んでいく運命にある。死ぬことでようやく、戦死した夫のもとへ行ける。彼を失った後の長い歳月を描くのではない。空白の60年としてそこは劇中では一切描かず、過去は今とつながる。昭和10年代の日々を時系列に見せていく。現代のシーンでは、孫がおばあちゃんの生きた歴史に思いを馳せる。今、死にゆく彼女の姿も描かない。彼女の青春時代のみを見せる。
真面目で誠実な芝居だ。だが、真面目すぎて息苦しいことも事実。でも、それがこの芝居のよさでもあるから、一概に否定しきれないことは最初に書いた。
演出には遊びがない。いっぱいいっぱいで作られている。そこもまた誠実で悪くないけど、息抜きも欲しい。笑いをひとりで担っているのは思い野美帆さん演じる産婆だが、あれだけでは厳しい。
この直線的な芝居では息抜きは難しいだろうが、これはあくまでも彼女が生きた日常を描くものである以上、ただ苦しいばかりではダメだ。でも、バランスのとり方が難しい。
昭和10年代、やがて戦争に突入する直前から戦争が終わる直前までが描かれる。旧家の嫁を主人公にして、彼女の生きた日々を描く。家に縛られて、家に従うことで、自分を抑えつけて生きた日々。戦争によって夫を奪われ、家の重圧のもと、生まれたばかりの乳飲み子を抱え生きる。
南方で死んだ夫は「箱の中の小石」となって戻って来る。家の犠牲になり、それでも家を守り、生まれてきた子供を育て、夫の両親に仕え、彼らを看取り、やがて死んでいく。彼女を支えたものは何だったのか。ひたすら耐え忍んで、生きた若かりし日のスケッチだ。
彼女にとって生きることって何だったのか。苦しいことばかりの日々。でも、そんな人生を否定するのではない。芝居は静かにありのままに、彼女を見つめていく。主人公を演じる鶴留真由さんが素晴らしい。何も言わない。そんな無言の中から、この芝居は、やがて彼女の生き方を肯定していく。
並行して描かれる現代の描写の中でも彼女は苦しんでいる。重い病の床にあり、もうすぐ死んでいく運命にある。死ぬことでようやく、戦死した夫のもとへ行ける。彼を失った後の長い歳月を描くのではない。空白の60年としてそこは劇中では一切描かず、過去は今とつながる。昭和10年代の日々を時系列に見せていく。現代のシーンでは、孫がおばあちゃんの生きた歴史に思いを馳せる。今、死にゆく彼女の姿も描かない。彼女の青春時代のみを見せる。
真面目で誠実な芝居だ。だが、真面目すぎて息苦しいことも事実。でも、それがこの芝居のよさでもあるから、一概に否定しきれないことは最初に書いた。
演出には遊びがない。いっぱいいっぱいで作られている。そこもまた誠実で悪くないけど、息抜きも欲しい。笑いをひとりで担っているのは思い野美帆さん演じる産婆だが、あれだけでは厳しい。
この直線的な芝居では息抜きは難しいだろうが、これはあくまでも彼女が生きた日常を描くものである以上、ただ苦しいばかりではダメだ。でも、バランスのとり方が難しい。